・・・ とにかく、その突然の変化の起こったのは浜口内閣の緊縮政策の高潮に達したころであったので、この政策と切符の紙質の変化とになんらかの連関がありはしないかと考えてみたことがあった。 事実はとにかく、このような連関は鉄道省とそれを統率する・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・現在のようなジャーナリズム全盛時代ではおそらく大多数のこうした種類の挿画や裏絵は執筆画家の日常の職業意識の下に制作されたものであろうと思うが、あの頃の『ホトトギス』の上記の画家のものはいかにも自分で楽しみながら描いたものだろうという気のする・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・ こういうものが如何なる時代に如何なる人の需めによって如何なる人によって制作されたかということは、色々な問題に聯関して研究さるべき興味ある題目となるであろうと思われる。 それにつけて想い出されるのは、仏教や耶蘇教の宗教画の中にも、こ・・・ 寺田寅彦 「山中常盤双紙」
・・・それは芭蕉とその門下の共同制作になる連句である。その多数な「歌仙」や「百韻」のいかなる部分を取って来ても、そこにこの「放送音画」のシナリオを発見することができるであろう。もちろんこれらの連句はさらにより多く発声映画のシナリオとして適切なもの・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
・・・近ごろの言葉で言えば一種の共同制作によってできあがるものだということである。 漢詩でもたまには数人の合作になるものはあるようである。近ごろはひとつづきの小説を数人の作者が書き続けて行くのもあるようである。これらの場合その作者たちにとって・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・そこで今度は、スキャップ政策をとったが、それも強固な争議団の妨碍のために、予測程の成功ではなかった。トラックの中に、荷物の間に五六人のスキャップを積み込んで、会社間近まで来たとき、トラックの運転手と変装していた利平が、ひどくやられたのもこの・・・ 徳永直 「眼」
・・・この板画の制作せられたのは明治十二三年のころであろう。当時池之端数寄屋町の芸者は新柳二橋の妓と頡頏して其品致を下さなかった。さればこの時代に在って上野の風景を記述した詩文雑著のたぐいにして数寄屋町の妓院に説き及ばないものは殆無い。清親の風景・・・ 永井荷風 「上野」
・・・当時巴里に於て、一邦人が独力にしてマネエ、ロダンの如き巨匠の製作品と、又江戸浮世絵の蒐集品とを仏蘭西人の手より買取ったことがあった。是亦戦争の余沢である。オペラは帝国劇場を主管する山本氏の斡旋に依って邦人の前に演奏せられ、仏蘭西近世の美術品・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・乃ち私の稚時の古跡はもう影も形もなくこの浮世からは湮滅してしまったのだ…… * 寺院と称する大きな美術の製作は偉大な力を以てその所在の土地に動しがたい或る特色を生ぜしめる。巴里にノオトル・ダアムがある。浅草に観・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・わたしは小説たる事を口実として、観察の不備を補うに空想を以てする事の制作上甚危険である事を知っている。それがため適当なるモデルを得るの日まで、この制作を中止しようと思い定めた。 わたしはいかなる断篇たりともその稿を脱すれば、必亡友井上唖・・・ 永井荷風 「十日の菊」
出典:青空文庫