・・・ やがてあの魔法使いが、床の上にひれ伏したまま、嗄れた声を挙げた時には、妙子は椅子に坐りながら、殆ど生死も知らないように、いつかもうぐっすり寝入っていました。 五 妙子は勿論婆さんも、この魔法を使う所は、誰の眼に・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ その人の往来を、仕事場の中から、何と云う事もなく眺めていた、一人の青侍が、この時、ふと思いついたように、主の陶器師へ声をかけた。「不相変、観音様へ参詣する人が多いようだね。」「左様でございます。」 陶器師は、仕事に気をとら・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・そうしてその露わな乳房の上に、生死もわからない頭を凭せていた。 何分かの沈黙が過ぎた後、床の上の陳彩は、まだ苦しそうに喘ぎながら、徐に肥った体を起した。が、やっと体を起したと思うと、すぐまた側にある椅子の上へ、倒れるように腰を下してしま・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・もし唯今茂作の身に万一の事でもございましたら、稲見の家は明日が日にも世嗣ぎが絶えてしまうのでございます。そのような不祥がございませんように、どうか茂作の一命を御守りなすって下さいまし。それも私風情の信心には及ばない事でございましたら、せめて・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・まして西郷隆盛の生死をやです。だから、僕は歴史を書くにしても、嘘のない歴史なぞを書こうとは思わない。ただいかにもありそうな、美しい歴史さえ書ければ、それで満足する。僕は若い時に、小説家になろうと思った事があった。なったらやっぱり、そう云う小・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・もっともこれらの人の名はすでになかば歴史的に固定しているのであるからしかたがないとしても、我々はさらに、現実暴露、無解決、平面描写、劃一線の態度等の言葉によって表わされた科学的、運命論的、静止的、自己否定的の内容が、その後ようやく、第一義慾・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・勝つ者は青史の天に星と化して、芳ばしき天才の輝きが万世に光被する。敗れて地に塗れた者は、尽きざる恨みを残して、長しなえに有情の人を泣かしめる。勝つ者はすくなく、敗るる者は多い。 ここにおいて、精神界と物質界とを問わず、若き生命の活火を胸・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・およそ、獅子大じんに牡丹餅をくわせた姉さんなるものの、生死のあい手を考えて御覧なさい。相撲か、役者か、渡世人か、いきな処で、こはだの鮨は、もう居ない。捻った処で、かりん糖売か、皆違う。こちの人は、京町の交番に新任のお巡査さん――もっとも、角・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・が、遠くの掛軸を指し、高い処の仏体を示すのは、とにかく、目前に近々と拝まるる、観音勢至の金像を説明すると言って、御目、眉の前へ、今にも触れそうに、ビシャビシャと竹の尖を振うのは勿体ない。大慈大悲の仏たちである。大して御立腹もあるまいけれども・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・の裡で、動くのが、動くばかりでなくなって、もそもそと這うような、ものをいうような、ぐっぐっ、と巨きな鼻が息をするような、その鼻が舐めるような、舌を出すような、蒼黄色い顔――畜生――牡丹の根で気絶して、生死も知らないでいたうちの事が現に顕われ・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
出典:青空文庫