・・・私が大金持になった時には、世辞も追従もしますけれど、一旦貧乏になって御覧なさい。柔しい顔さえもして見せはしません。そんなことを考えると、たといもう一度大金持になったところが、何にもならないような気がするのです」 老人は杜子春の言葉を聞く・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・その後、世事談を見ると、のろまは「江戸和泉太夫、芝居に野呂松勘兵衛と云うもの、頭ひらたく色青黒きいやしげなる人形を使う。これをのろま人形と云う。野呂松の略語なり」とある。昔は蔵前の札差とか諸大名の御金御用とかあるいはまたは長袖とかが、楽しみ・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・ 小町 あら、お世辞などはおよしなさい。 使 お世辞ではありませんよ。ほんとうに美しいと思っているのです。いや、口には云われないくらい美しいと思っているのです。 小町 まあ、あんな嬉しがらせばっかり! あなたこそ黄泉には似合わな・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・ こう矢継ぎ早やに尋ねられるに対して、若い監督の早田は、格別のお世辞気もなく穏やかな調子で答えていたが、言葉が少し脇道にそれると、すぐ父からきめつけられた。父は監督の言葉の末にも、曖昧があったら突っ込もうとするように見えた。白い歯は見せ・・・ 有島武郎 「親子」
・・・その場を取りつくろう世辞をいって怒った風も見せずに坂を下りて行った。道の二股になった所で左に行こうとすると、闇をすかしていた仁右衛門は吼えるように「右さ行くだ」と厳命した。笠井はそれにも背かなかった。左の道を通って女が通って来るのだ。 ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 下廊下を、元気よく玄関へ出ると、女連の手は早い、二人で歩行板を衝と渡って、自分たちで下駄を揃えたから、番頭は吃驚して、長靴を掴んだなりで、金歯を剥出しに、世辞笑いで、お叩頭をした。 女中が二人出て送る。その玄関の燈を背に、芝草と、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・東京仕込のお世辞は強い。人、可加減に願いますぜ。」 と前垂を横に刎ねて、肱を突張り、ぴたりと膝に手を支いて向直る。「何、串戯なものか。」と言う時、織次は巻莨を火鉢にさして俯向いて莞爾した。面色は凛としながら優しかった。「粗末なお・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ 間の宿で、世事の用はいささかもなかったのでありますが、可懐の余り、途中で武生へ立寄りました。 内証で……何となく顔を見られますようで、ですから内証で、その蔦屋へ参りました。 皐月上旬でありました。 三・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・に至るまでも、このことを言い出しては、軽蔑と悪口との種にしているが、この一、二年来不景気の店へ近ごろ最もしげしげ来るお客は青木であったから、陰で悪く言うものの、面と向っては、進まないながらも、十分のお世辞をふり撤いていた。 青木は井筒屋・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 初代の喜兵衛も晩年には度々江戸に上って、淡島屋の帳場に座って天禀の世辞愛嬌を振播いて商売を助けたそうだ。初代もなかなか苦労人でかつ人徳があったが、淡島屋の身代の礎を作ったのは全く二代目喜兵衛の力であった。四 狂歌師岡鹿楼笑名・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫