・・・元来慌てもののせっかちの癖に、かねて心臓が弱くて、ものの一町と駆出すことが出来ない。かつて、彼の叔父に、ある芸人があったが、六十七歳にして、若いものと一所に四国に遊んで、負けない気で、鉄枴ヶ峰へ押昇って、煩って、どっと寝た。 聞いてさえ・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・「そんなに、せっかちに腰を掛けてさ、泥がつきますよ。」「構わない。破れ麻だよ。たかが墨染にて候だよ。」「墨染でも、喜撰でも、所作舞台ではありません、よごれますわ。」「どうも、これは。きれいなその手巾で。」「散っているもみ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・もったいぶって、ぽたんと落ちるのもあるし、せっかちに、痩せたまま落ちるのもあるし、気取って、ぴちゃんと高い音たてて落ちるのもあるし、つまらなそうに、ふわっと風まかせに落ちるのもあるし、――」 Kも、私も、くたくたに疲れていた。その日・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・この駅長もその他の駅夫も皆この大男に熟している。せっかちで、あわて者で、早口であるということをも知っている。 板囲いの待合所に入ろうとして、男はまたその前に兼ねて見知り越しの女学生の立っているのをめざとくも見た。 肉づきのいい、頬の・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ 本線のシグナルはせっかちでしたから、シグナレスの返事のないのに、まるであわててしまいました。「シグナレスさん、あなたはお返事をしてくださらないんですか。ああ僕はもうまるでくらやみだ。目の前がまるでまっ黒な淵のようだ。ああ雷・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・日本の人民的文化の下地の具体的条件をとびこして、せっかちに、まるで新しい「新しい文化」の発見にあせっているところもある。だが、現実に日本にあらわれている新しい文化の動きは、いろいろのところにいろいろの段階と形とをとって、あるときには旧いもの・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・家に帰る沢山の空馬力、自転車、労働者が照明の不充分な塵っぽい堤を陸続、互に先を越そうとしながらせっかちに通る。白鬚の渡場への下り口にさしかかると、四辺の光景は強烈に廃頽的になった。石ころ道の片側にはぎっしり曖昧な食物店などが引歪んだ屋体を並・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・ 御まきさんは御仙さんに御辞ぎをさせてそそくさと玄関に行ってしまった、「西の人はゆっくりだってのにあなたは随分せっかちだ事」 母はこんな事を云いながら送った、私も御仙さんのふんだ足あとをボカすようにしてあるいた。「あすは歌舞・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・ 私は、せっかちな声を出して、その小さい灯かげを戸棚の奥へさしいれて見て、「どう? 一寸! これ!」 灯をその位置にかざしたまま体をひらいて友達に戸棚の中をのぞかせた。鼠は鳩麦の袋を破ってそれを喰べていたのであったが、私たちの驚・・・ 宮本百合子 「鼠と鳩麦」
出典:青空文庫