・・・らった感想文として使って、など苦しいこともあり、これは、あとあとの、笑い話、いまは、切実のこと、わが宿の払い、家人に夏の着物、着換え一枚くらいは、引きだしてやりたく、家賃、それから諸支払い、借銭利息、船橋の家に在る女房どうして居るか、ははは・・・ 太宰治 「創生記」
・・・ すったもんだの揚句は大病になって、やっと病院から出て千葉県の船橋の町はずれに小さい家を一軒借りて半病人の生活をはじめた時の姿は、これです。ひどく痩せているでしょう? それこそ、骨と皮です。私の顔のようでないでしょう? 自分ながら少し、・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・五月、六月、七月、そろそろ藪蚊が出て来て病室に白い蚊帳を吊りはじめたころ、私は院長の指図で、千葉県船橋町に転地した。海岸である。町はずれに、新築の家を借りて住んだ。転地保養の意味であったのだが、ここも、私の為に悪かった。地獄の大動乱がはじま・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・更にその前は、千葉県、船橋の町はずれに、二十四円の家を借りて住んでいたのである。どこに住んでも同じことである。格別の感慨も無い。いまの三鷹の家に就いても、訪客はさまざまの感想を述べてくれるのであるが、私は常に甚だいい加減の合槌を打っているの・・・ 太宰治 「無趣味」
・・・男ありて大声叱咤、私つぶやいて曰く、船橋のまちには犬がうようよ居やがる。一匹一匹、私に吠える。芸者が黒い人力車に乗って私を追い越す。うすい幌の中でふりかえる。八月の末、よく観ると、いいのね、と皮膚のきたない芸者ふたりが私の噂をしていたと家人・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・鬼の棲家を過ぎて仙郷に入るような気がして昔の支那人の書いた夢のような物語を想い出すのである。シー・ピー・スクラインがパミールの岩山の奥に「幸福の谷」を発見した記事を読んだときにいわゆる武陵桃源の昔話も全くの空想ではないと思ったことであったが・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・そうして七十歳にでもなったらアルプスの奥の武陵の山奥に何々会館、サロン何とかいったような陽気な仙境に桃源の春を探って不老の霊泉をくむことにしよう。 八歳の時に始まった自分の「銀座の幻影」のフィルムははたしていつまで続くかこればかりはだれ・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ 桃太郎が鬼が島を征服するのがいけなければ、東海の仙境蓬莱の島を、鎚と鎌との旗じるしで征服してしまおうとする赤い桃太郎もやはりいけないであろう。 こんなくだらぬことを赤白両派に分かれて両方で言い合っていれば、秋の夜長にも話の種は尽き・・・ 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」
・・・ 夜ひとりボートデッキへ上がって見たら上弦の月が赤く天心にかかって砂漠のながめは夢のようであった。船橋の探照燈は希薄な沈黙した靄の中に一道の銀のような光を投げて、船はきわめて静かに進んでいた。つい数日前までは低く見えていた北極星が、いつ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ たとえば満州における戦況の経過に関して軍務当局者の講演がある場合に、もし戦地における実際の音的シーンのレコードを適当に插入することができれば、聴衆の実感ははなはだしく強調されるであろう。また少し極端な例を仮想してみるとすれば、たとえば・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
出典:青空文庫