・・・自分はなお奥の方へと彼らの間を縫って往くと、船首水雷室の前に一小区画がある、そこに七、八名の水兵が、他の仲間と離れて一団体をなし、飲んでいた。 わが水兵はいかに酔っていても長官に対する敬礼は忘れない。彼らは自分を見るや一同起立して敬礼を・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・そこで僕は、春の日ののどかな光が油のような海面に融けほとんど漣も立たぬ中を船の船首が心地よい音をさせて水を切って進行するにつれて、霞たなびく島々を迎えては送り、右舷左舷の景色をながめていた。菜の花と麦の青葉とで錦を敷いたような島々がまるで霞・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・祇尼は保食神どころではない、本来餓鬼のようなもので、死人の心をかんしょくしたがっている者なのであるが、他の大鬼神に敵わないので、六ヶ月前に人の死を知り、先取権を確立するものであり、なかなか御稲荷様のような福ふくふくしいものではないのである。・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・学生時代にボートの選手をしていたひとは、五十六十になっても、ボートを見ると、なつかしいという気持よりは、ぞっとするものらしいが、しかし、また、それこそ我知らず、食い入るように見つめているもののようである。 早稲田界隈。 下宿生活。・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・新調のその船の名は、細胞文芸、井伏鱒二、林房雄、久野豊彦、崎山兄弟、舟橋聖一、藤田郁義、井上幸次郎、その他数氏、未だほとんど無名にして、それぞれ、辻馬車、鷲の巣、十字街、青空、驢馬、等々の同人雑誌の選手なりしを手紙で頼んで、小説の原稿もらい・・・ 太宰治 「喝采」
・・・そのまえには、むかし水泳の選手として有名であった或る銀行員が、その若い細君とふたりきりで住まっていた。銀行員は気の弱弱しげな男で、酒ものまず、煙草ものまず、どうやら女好きであった。それがもとで、よく夫婦喧嘩をするのである。けれども屋賃だけは・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・そんなに泡の出るほどふんばらずとも、と当時たいへん滑稽に感じていた、その柔道の選手を想起したとたんに私は、ひどくわが身に侮辱を覚え、怒りにわななき、やめ! 私は腕をのばして遮二無二枝につかまった。思わず、けだもののような咆哮が腹の底から噴出・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・一年後ぼくはレギュラーになり、二年後、第十回オリンピック選手としてアメリカに行きました。当時二十歳、六尺、十九貫五百、紅顔の少年であります。ボートは大変下手でした。先輩ばかりでちいさくなっていました。往復の船中の恋愛、帰ってきたぼくは歓迎会・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ある大学から、ピンポンのたくみなる選手がひとり出るとその大学から毎年、つぎつぎとピンポンの名手があらわれる。伝統のちからであると世人は言う。ピンポン大学の学生であるという矜持が、その不思議の現象の一誘因となって居るのである。伝統とは、自信の・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・大学の野球の選手で新聞にしょっちゅう名前が出ていたではないか。弟もいま、大学へはいっている。俺は、感ずるところがあって、百姓になったが、しかし、兄でも弟でも、いまではこの俺に頭があがらん。なにせ、東京は食糧が無いんで、兄は大学を出て課長をし・・・ 太宰治 「親友交歓」
出典:青空文庫