・・・あらゆる正確な史料が認めている西郷隆盛の城山戦死を、無造作に誤伝の中へ数えようとする――それだけで、この老人の所謂事実も、略正体が分っている。成程これは気違いでも何でもない。ただ、義経と鉄木真とを同一人にしたり、秀吉を御落胤にしたりする、無・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・…… 若い楽手の戦死に対するK中尉の心もちはこの海戦の前の出来事の記憶と対照を作らずにいる訣はなかった。彼は兵学校へはいったものの、いつか一度は自然主義の作家になることを空想していた。のみならず兵学校を卒業してからもモオパスサンの小説な・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・ 人畜を挙げて避難する場合に臨んでも、なお濡るるを恐れておった卑怯者も、一度溝にはまって全身水に漬っては戦士が傷ついて血を見たにも等しいものか、ここに始めて精神の興奮絶頂に達し猛然たる勇気は四肢の節々に振動した。二頭の乳牛を両腕の下に引・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・一月の十二三日に収容せられ、生死不明者等はそこで初めて戦死と認定せられ、遺骨が皆本国の聨隊に着したんは、三月十五日頃であったんや。死後八カ月を過ぎて葬式が行われたんや。」「して、大石のからだはあったんか?」「あったとも、君――後で収・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・これからが満幅の奇を思うままに発揮した椿岳の真生活であって、軽焼屋や油会所時代は椿岳の先史時代であった。八 浅草生活――大眼鏡から淡島堂の堂守 椿岳の浅草生活は維新後から明治十二、三年頃までであった。この時代が椿岳の最も奇を・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 日露戦役後、度々部下の戦死者のため墓碑の篆額を書かせられたので篆書は堂に入った。本人も得意であって「篆書だけは稽古したから大分上手になった、」と自任していた。私は今人の筆蹟なぞに特別の興味を持ってるのではないが、数年前に知人の筆蹟を集・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・そこには同志を求めて、追われ、迫害されて、尚お、真実に殉じた戦士があったか知れない。 彼等は、この憧憬と情熱とのみが、芸術に於て、運動に於て、同じく現実に虐げられ、苦しみつゝある人間を救い得ると信じていた。こゝに、彼等のロマンチシズムが・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・芸術戦線の戦士は、すべからくこの信念に生きなければならぬものです。 都会に、多くの作家があり、農村に多くの作家があるべき筈である。そして、彼等は、各の接触するところのものを真実に描かなければならぬ。そして、時に彼等の代弁となり、時に彼等・・・ 小川未明 「作家としての問題」
・・・ 芸術が、他のすべての自然科学の場合と同じく、独立して価値あるものでなくして、人生のために良心たり、感激たる上に於てのみ価値あるからには、芸術家は、すべからく、野に立って、叫ぶの戦士たらなければなりません。常に、自分を鞭打って止まざる至・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・人間性の為めの勇敢な戦士であらねばならぬ。現実が極めて安意な無目的の状態に見えるのも、或いは希望の光りに輝いて見えるのも畢竟、主観的の問題である。其の人を離れて現実なく、其の人の主観を離れて現実の意味をなさぬのも、要するに以上の理由による。・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
出典:青空文庫