・・・ 謙三郎もまた我国徴兵の令に因りて、予備兵の籍にありしかば、一週日以前既に一度聯隊に入営せしが、その月その日の翌日は、旅団戦地に発するとて、親戚父兄の心を察し、一日の出営を許されたるにぞ、渠は父母無き孤児の、他に繋累とてはあらざれども、・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・大阪朝日の待遇には余り平らかでなかったが、東京の編輯局には毎日あるいは隔日に出掛けて、海外電報や戦地の通信を瞬時も早く読むのを楽みとしていた。「砲声聞ゆ」という電報が朝の新聞に見え、いよいよ海戦が初まったとか、あるいはこれから初まるとか・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
最近私の友人がたまたま休暇を得て戦地から帰って来た。○日ののちには直ぐまた戦地へ戻らねばならぬ慌しい帰休であった。 久し振りのわが家へ帰ったとたんに、実は藪から棒の話だがと、ある仲人から見合いの話が持ち込まれた。彼の両・・・ 織田作之助 「十八歳の花嫁」
「歩哨に立って大陸の夜空を仰いでいるとゆくりなくも四ッ橋のプラネタリュウムを想いだした……」と戦地の友人から便りがあったので、周章てて四ッ橋畔の電気科学館へ行き六階の劇場ではじめてプラネタリュウムを見た。 感激した。陶酔・・・ 織田作之助 「星の劇場」
・・・従軍紀行文的なもの及び、戦地から帰った者の話を聞いて書いたものは、まだやゝましだとしなければならぬ。他の小杉天外にしろ松居松葉にしろ、みなその程度のものである。だから、右の諸作家の筆になるものを見ても、日清戦争がどういう風に戦われたか、如何・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・明日の生活の計画よりは、きょうの没我のパッションが大事です。戦地に行った人たちの事を考えろ。正直はいつの時代でも、美徳だと思います。ごまかそうたって、だめですよ。明日の立派な覚悟より、きょうの、つたない献身が、いま必要であります。お前たちの・・・ 太宰治 「或る忠告」
・・・ かれのあととりの息子は、戦地へ行ってまだ帰って来ない。長女は北津軽のこの町の桶屋に嫁いでいる。焼かれる前は、かれは末娘とふたりで青森に住んでいた。しかし、空襲で家は焼かれ、その二十六になる末娘は大やけどをして、医者の手当も受けたけれど・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・私は戦地へ行きたい。嘘の無い感動を捜しに。私は真剣であります。もっと若くて、この脚気という病気さえ無かったら、私は、とうに志願しています。 私は行きづまってしまいました。具体的な理由は、申し上げません。私は、あなたの「華厳」を読み、その・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・その紙に書かれてある戦地風景は、私が陋屋の机に頬杖ついて空想する風景を一歩も出ていない。新しい感動の発見が、その原稿の、どこにも無い。「感激を覚えた。」とは、書いてあるが、その感激は、ありきたりの悪い文学に教えこまれ、こんなところで、こんな・・・ 太宰治 「鴎」
・・・三、それから、君の手紙はいくぶんセンチではなかったか。というのは、よみながら、僕は涙が出るところだったからだ。それを僕のセンチに帰するのは好くない。ぼくは、恋文を貰った小娘のように顔をあからめていた。四、これが君の手紙への返事だったら破いて・・・ 太宰治 「虚構の春」
出典:青空文庫