・・・喜三郎は看病の傍、ひたすら諸々の仏神に甚太夫の快方を祈願した。病人も夜長の枕元に薬を煮る煙を嗅ぎながら、多年の本望を遂げるまでは、どうかして生きていたいと念じていた。 秋は益深くなった。喜三郎は蘭袋の家へ薬を取りに行く途中、群を成した水・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・われ、その時、宗門の戒法を説き、かつ厳に警めけるは、「その声こそ、一定悪魔の所為とは覚えたれ。総じてこの「じゃぼ」には、七つの恐しき罪に人間を誘う力あり、一に驕慢、二に憤怒、三に嫉妬、四に貪望、五に色欲、六に餮饕、七に懈怠、一つとして堕獄の・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・ちょうど七十二になる彼の父はそこにかかるとさすがに息切れがしたとみえて、六合目ほどで足をとどめて後をふり返った。傍見もせずに足にまかせてそのあとに※いて行った彼は、あやうく父の胸に自分の顔をぶつけそうになった。父は苦々しげに彼を尻目にかけた・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 直き傍に腰を掛けている貴夫人がこう云った。「ジュ ヌ ペルメットレエ ジャメエ ク マ フィイユ サドンナアタ ユヌ オキュパシヨン シイ クリュエル」“Je ne permettrais jamais, que ma fil・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
・・・街道の傍は穀物を刈った、刈株の残って居る畠であった。所々丘のように高まって居る。また低い木立や草叢がある。暫く行くと道標の杙が立って居て、その側に居酒屋がある。その前に百姓が大勢居る。百姓はこの辺りをうろつく馬鹿者にイリュウシャというものが・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・B それは三等の切符を持っていた所為だ。一等の切符さえ有れあ当り前じゃないか。A 莫迦を言え。人間は皆赤切符だ。B 人間は皆赤切符! やっぱり話せるな。おれが飯屋へ飛び込んで空樽に腰掛けるのもそれだ。A 何だい、うまい物うま・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・その人も無げなる事、あたかも妓を傍にしたるがごとし。あまつさえ酔に乗じて、三人おのおの、その中三婦人の像を指し、勝手に選取りに、おのれに配して、胸を撫で、腕を圧し、耳を引く。 時に、その夜の事なりけり。三人同じく夢む。夢に蒋侯、その伝教・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ この池を独り占め、得意の体で、目も耳もない所為か、熟と視める人の顔の映った上を、ふい、と勝手に泳いで通る、通る、と引き返してまた横切る。 それがまた思うばかりではなかった。実際、其処に踞んだ、胸の幅、唯、一尺ばかりの間を、故とらし・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ と昔語りに話して聞かせた所為であろう。ああ、薄曇りの空低く、見通しの町は浮上ったように見る目に浅いが、故郷の山は深い。 また山と言えば思出す、この町の賑かな店々の赫と明るい果を、縦筋に暗く劃った一条の路を隔てて、数百の燈火の織目か・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・が、俺たちの為す処は、退いて見ると、如法これ下女下男の所為だ。天が下に何と烏ともあろうものが、大分権式を落すわけだな。二の烏 獅子、虎、豹、地を走る獣。空を飛ぶ仲間では、鷲、鷹、みさごぐらいなものか、餌食を掴んで容色の可いのは。……熊な・・・ 泉鏡花 「紅玉」
出典:青空文庫