・・・所が、千五百五年になると、ボヘミアで、ココトと云う機織りが、六十年以前にその祖父の埋めた財宝を彼の助けを借りて、発掘する事が出来た。そればかりではない。千五百四十七年には、シュレスウィッヒの僧正パウル・フォン・アイツェンと云う男が、ハムブル・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・ これは江戸の昔から祖父や父の住んでいた古家を毀した時のことである。僕は数え年の四つの秋、新しい家に住むようになった。したがって古家を毀したのは遅くもその年の春だったであろう。 二 位牌 僕の家の仏壇には祖父母の・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・父の父、すなわち私たちの祖父に当たる人は、薩摩の中の小藩の士で、島津家から見れば陪臣であったが、その小藩に起こったお家騒動に捲き込まれて、琉球のあるところへ遠島された。それが父の七歳の時ぐらいで、それから十五か十六ぐらいまでは祖父の薫育に人・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・故郷の市場の雑貨店で、これを扱うものがあって、私の祖父――地方の狂言師が食うにこまって、手内職にすいた出来上がりのこの網を、使で持って行ったのを思い出して――もう国に帰ろうか――また涙が出る。とその涙が甘いのです。餅か、団子か、お雪さんが待・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・待て、御典医であった、彼のお祖父さんが選んだので、本名は杢之丞だそうである。 ――時に、木の鳥居へ引返そう。 二 ここに、杢若がその怪しげなる蜘蛛の巣を拡げている、この鳥居の向うの隅、以前医師の邸の裏門のあっ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・矢切の斎藤と云えば、この界隈での旧家で、里見の崩れが二三人ここへ落ちて百姓になった内の一人が斎藤と云ったのだと祖父から聞いて居る。屋敷の西側に一丈五六尺も廻るような椎の樹が四五本重なり合って立って居る。村一番の忌森で村じゅうから羨ましがられ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・は作者の十六歳の時の筆が祖父の大阪弁を写生している腕のたしかさはさすがであり、書きにくい大阪弁をあれだけ写し得たことによってこの作品が生かされたともいえるくらいであるが、あの大阪弁は茨木あたりの大阪弁である。「細雪」の大阪弁、「人間同志」の・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・ ――もともと出鱈目と駄法螺をもって、信条としている彼の言ゆえ、信ずるに足りないが、その言うところによれば、彼の祖父は代々鎗一筋の家柄で、備前岡山の城主水野侯に仕えていた。 彼の五代の祖、川那子満右衛門の代にこんなことがあった……。・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・Fの方は昨晩からずいぶん悄げていたが、行李もできて別れの晩飯にかかったが、いよいよとなると母や妹たちや祖父などに会えるという嬉しさからか、私とは反対に元気になった。「母さんとこで二三日も遊んだら、祖父さんの方へ行ってすぐ学校へ行くように・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ この度は貞夫に結構なる御品御贈り下されありがたく存じ候、お約束の写真ようよう昨日でき上がり候間二枚さし上げ申し候、内一枚は上田の姉に御届け下されたく候、ご覧のごとくますます肥え太りてもはや祖父様のお手には荷が少々勝ち過ぎるように・・・ 国木田独歩 「初孫」
出典:青空文庫