・・・道太の祖父の代に、古い町家であったその家へ、縁組があった。いつごろそんな商売をやりだしたか知らなかったが、今でも長者のような気持でいるおひろたちの母親は、口の嗜好などのおごったお上品なお婆さんであった。時代の空気の流れないこの町のなかでも、・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・いわんや子を生み孫を生むに至ては、祖父を共にする者あり、曾祖父を共にする者あり、共に祖先の口碑をともにして、旧藩社会、別に一種の好情帯を生じ、その功能は学校教育の成跡にも万々劣ることなかるべし。・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・黒い粗布を着た馬商人が来て、仔馬を引きはなしもう一疋の仔馬に結びつけ、そして黙ってそれを引いて行こうと致しまする。母親の馬はびっくりして高く鳴きました。なれども仔馬はぐんぐん連れて行かれまする。向うの角を曲ろうとして、仔馬は急いで後肢を一方・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・ 洋傘直しは剃刀をていねいに調べそれから茶いろの粗布の上にできあがった仕事をみんな載せほっと息して立ちあがります。 そして一足チュウリップの方に近づきます。 園丁が顔をまっ赤にほてらして飛んで来ました。「もう出来たんですか。・・・ 宮沢賢治 「チュウリップの幻術」
・・・ 魯迅は十三の年、可愛がってくれていた祖父が獄舎につながれるようなことになってから極度に落魄して、弟作人と一緒に母方の伯父の家にあずけられた。魯迅は「そこの家の虐遇に堪えかねて間もなく作人をそこに残して自分だけ杭州の生家へ帰った」そして・・・ 宮本百合子 「兄と弟」
・・・小さなワイマールの市で枢密顧問官であったゲーテの祖父が、どんなにか業々しくその地位を考えていたかを私どもは知っている。フォン・ヴェストファーレンが社会的偏見で見られているユダヤ人のマルクス一家と、そのように親しくつきあい、娘たちの友情を認め・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・茶っぽい粗布の獄衣を着せられた活人形がその中で、獣のような抑圧と闘いながら読書している革命家の姿を示している。 工場や集団農場から樺の木の胴乱を下げてやって来た労働者農民男女の見学団は、賑やかに討論したり笑ったりしながらノートを片手にゾ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・だが、その歌よりもさきに、原始の祖先たちは、狩猟をし、獣の皮をはぎ、火をおこし、女は針に似た道具でその獣の皮や粗布を縫い合わせた。酋長を囲んで相談し、収穫と生産とについて部族のしきたりと定めにしたがい、習慣をもって生と死の現象を扱った。定め・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・太田は祖父伝左衛門が加藤清正に仕えていた。忠広が封を除かれたとき、伝左衛門とその子の源左衛門とが流浪した。小十郎は源左衛門の二男で児小姓に召し出された者である。百五十石取っていた。殉死の先登はこの人で、三月十七日に春日寺で切腹した。十八歳で・・・ 森鴎外 「阿部一族」
某儀明日年来の宿望相達し候て、妙解院殿御墓前において首尾よく切腹いたし候事と相成り候。しかれば子孫のため事の顛末書き残しおきたく、京都なる弟又次郎宅において筆を取り候。 某祖父は興津右兵衛景通と申候。永正十一年駿河国興・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
出典:青空文庫