・・・「そりゃ畑へ落して来たぞ」 他の一人がいった。「どこらだんべ」 落したと思った一人は熱心に聞いた。「西から三番目の畝だ、おめえが大きいのを抱えた時ちゃらんと音がしたっけが其時は気がつかなかったがあれに相違ねえぞ、こっそり・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・一年ぐらい暇を貰って遊んで来てはどうですと促がして見たら、そりゃ無論やって貰える、けれどもそれは好まない。私がもし日本を離れる事があるとすれば、永久に離れる。けっして二度とは帰って来ないと云われた。 先生はこういう風にそれほど故郷を慕う・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・「一体何だってんだ、お前たちは。第一何が何だかさっぱり話が分らねえじゃねえか、人に話をもちかける時にゃ、相手が返事の出来るような物の言い方をするもんだ。喧嘩なら喧嘩、泥坊なら泥坊とな」「そりゃ分らねえ、分らねえ筈だ、未だ事が持ち上ら・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 吉里はわざとつんとして、「あんまり馬鹿におしなさんなよ。そりゃ昔のことですのさ」「そう諦めててくれりゃア、私も大助かりだ。あいたたた。太股ふッつりのお身替りなざア、ちとありがた過ぎる方だぜ。この上臂突きにされて、ぐりぐりでも極めら・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・子供が戦争ごッこをやッたり、飯事をやる、丁度そう云った心持だ。そりゃ私の技倆が不足な故もあろうが、併しどんなに技倆が優れていたからって、真実の事は書ける筈がないよ。よし自分の頭には解っていても、それを口にし文にする時にはどうしても間違って来・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・「そうか、そりゃ善かった。大変心配していたんだヨ。もうとてもいけないだろうッて、誰れか言った位であったから。」「しかし君は何処へ行くんだ。」「そうか、それじゃ僕も一緒に行こう。」「もう午じゃが君飯食わないか。」「それじゃ一緒に食おう。」・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。 先生はまた・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・「ふーむ。そりゃ結構だ。――わかりましたか、ホレそこを真直行って……」ともう一遍教えてくれた。 入ってゆくと廊下で、左側には「賃銀支払金庫」「保険貯金」などと札の下った窓口が並んでいる。右側に戸がなるほど二つある。奥の方には「工・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・のちにせっかく当番をゆるされた思召しにそむいたと心づいてお暇を願ったが、光尚は「そりゃ臆病ではない、以後はも少し気をつけるがよいぞ」と言って、そのまま勤めさせた。この近習は光尚の亡くなったとき殉死した。 阿部一族の死骸は井出の口に引き出・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・「お前今日な、馬が狸橋の上から落ちよってさ、そりゃ豪いこっちゃぞな。」とお留は云った。「秋公はな! 今俺とこへ来よったんやが。」「知らんぞな。わしゃ今帰ったばっかりやが。お前、馬が横倒しにどぶんと水の中へはまりよったら見い、馬っ・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫