・・・ 徳川時代に、大火の後ごとに幕府から出した色々の禁令や心得が、半分でも今の市民の頭に保存されていたら、去年のあの大火は、おそらくあれほどにならなかったに相違ない。 江戸の文化は、日本の文化の一つである。馬鹿にすると罰が当る。・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・そうしたら、家屋は、みんな、いやでも完全な耐震耐火構造になるだろうし、危険な設備は一切影をかくすだろうし、そして市民は、いつでも狼狽しないだけの訓練を持続する事が出来るだろう。そうすれば、あのくらいの地震などは、大風の吹いたくらいのものにし・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・ 箕作秋坪は蘭学の大家である。旧幕府の時開成所の教官となり、又外国奉行の通訳官となり、両度欧洲に渡航した。維新の後私塾を開いて生徒を教授し、後に東京学士会院会員に推挙せられ、ついで東京教育博物館長また東京図書館長に任ぜられ、明治十九年十・・・ 永井荷風 「上野」
・・・明治四十三年八月の水害と、翌年四月の大火とは遊里とその周囲の町の光景とを変じて、次第に今日の如き特徴なき陋巷に化せしむる階梯をつくった。世の文学雑誌を見るも遊里を描いた小説にして、当年の傑作に匹疇すべきものは全くその跡を断つに至った。 ・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・雲如の一生は寛政詩学の四大家中に数えられた柏木如亭に酷似している。如亭も江戸の人で生涯家なく山水の間に放吟し、文政の初に平安の客寓に死したのである。 遠山雲如の『墨水四時雑詠』には風俗史の資料となるべきものがある。島田筑波さんは既に何か・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・という信仰があったため、また、一は所が隔たっていて目のあたり見なれぬために遠隔の地の人のことは非常に誇大して考えられたものである、今は交通が便利であるためにそんな事がない、私などもあまり飛び出さないと大家と見られるであろう。 さて当時は・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・塞がっているのが大家さんの内でその隣が我輩の新下宿、彼らのいわゆる新パラダイスである。這入らない先から聞しに劣る殺風景な家だと思ったが、這入って見るとなおなお不風流だ。しかのみならずどの室にも荷物が抛り込んであってまるで類焼後の立退場のよう・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・この響き、この群集の中に二年住んでいたら吾が神経の繊維もついには鍋の中の麩海苔のごとくべとべとになるだろうとマクス・ノルダウの退化論を今さらのごとく大真理と思う折さえあった。 しかも余は他の日本人のごとく紹介状を持って世話になりに行く宛・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・如何に成功するも、内を司どる婦人が暗愚無智なれば家は常に紊乱して家を成さず、幸に其主人が之を弥縫して大破裂に及ばざることあるも、主人早世などの大不幸に遭うときは、子女の不取締、財産の不始末、一朝にして大家の滅亡を告ぐるの例あるに反し、賢婦人・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
学者安心論 店子いわく、向長屋の家主は大量なれども、我が大家の如きは古今無類の不通ものなりと。区長いわく、隣村の小前はいずれも従順なれども、我が区内の者はとかくに心得方よろしからず、と。主人は以前の婢僕を誉め、・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
出典:青空文庫