・・・この物理の教官室は二階の隅に当っているため、体操器械のあるグラウンドや、グラウンドの向うの並松や、そのまた向うの赤煉瓦の建物を一目に見渡すのも容易だった。海も――海は建物と建物との間に薄暗い波を煙らせていた。「その代りに文学者は上ったり・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・ 四三 発火演習 僕らの中学は秋になると、発火演習を行なったばかりか、東京のある聯隊の機動演習にも参加したものである。体操の教官――ある陸軍大尉はいつも僕らには厳然としていた。が、実際の機動演習になると、時々命令に間・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・自分たち五六人は、機械体操場の砂だまりに集まって、ヘルの制服の背を暖い冬の日向に曝しながら、遠からず来るべき学年試験の噂などを、口まめにしゃべり交していた。すると今まで生徒と一しょに鉄棒へぶら下っていた、体量十八貫と云う丹波先生が、「一二、・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・と尋ねますと、今度はお敏が泰さんに代って、「あの石河岸からすぐ車で、近所の御医者様へ御つれ申しましたが、雨に御打たれなすったせいか、大層御熱が高くなって、日の暮にこちらへ御帰りになっても、まるで正気ではいらっしゃいませんでした。」と、しみじ・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・道理こそ、お父さんが大層な心配だ。……新坊、小母さんの膝の傍へ。――気をはっきりとしないか。ええ、あんな裏土塀の壊れ木戸に、かしほんの貼札だ。……そんなものがあるものかよ。いまも現に、小母さんが、おや、新坊、何をしている、としばらく熟と視て・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ 民さんも知っていましょう、あの年は、城の濠で、大層投身者がありました。」 同一年の、あいやけは、姉さんのような頷き方。「ああ。」 三「確か六七人もあったでしょう。」 お民は聞いて、火鉢のふちに、・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・「お前さん、その三尺は、大層色気があるけれど、余りよれよれになったじゃないか、ついでだからちょいとこの端へはっておいて上げましょう。」「何こんなものを。」 とあとへ退り、「いまに解きます繻子の帯……」 奴は聞き覚えの節に・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・それから暫らく経って椿岳の娘が同じお師匠さんに入門すると、或時家内太夫は「あなたのお店の作さんは大層出世をしたと見えてこの頃は馬に乗ってますネ、」といった。作さんという人は店に在ないから、椿岳の娘は不思議に思って段々作さんという人の容子を聞・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 沼南が今の邸宅を新築した頃、偶然訪問して「大層立派な御普請が出来ました、」と挨拶すると、沼南は苦笑いして、「この家も建築中から抵当に入ってるんです」といった。何の必要もないのにそういう世帯の繰廻しを誰にでも吹聴するのが沼南の一癖であっ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・学海翁は硬軟兼備のその頃での大宗師であったから、門に伺候して著書の序文を請うものが引きも切らず、一々応接する遑あらざる面倒臭さに、ワシが序文を書いたからッて君の作は光りゃアしない、君の作が傑作ならワシの序文なぞはなくとも光ると、味も素気もな・・・ 内田魯庵 「露伴の出世咄」
出典:青空文庫