・・・それから僻目かも知れないが、先生を訪問しても、先生によっては閾が高いように思われた。私は少し前まで、高校で一緒にいた同窓生と、忽ちかけ離れた待遇の下に置かれるようになったので、少からず感傷的な私の心を傷つけられた。三年の間を、隅の方に小さく・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・或る麗らかな天気の日に、秋の高い青空を眺めながら、遠い昔の夢を思い出した。その夢の記憶の中で、彼は支那人と賭博をしていた。支那人はみんな兵隊だった。どれも辮髪を背中にたれ、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、長い煙管を口にくわえて、悲しそうな顔を・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・私は工場で余り乾いた空気と、高い温度と綿屑とを吸い込んだから肺病になったんだ。肺病になって働けなくなったから追い出されたんだ。だけど使って呉れる所はない。私が働かなけりゃ年とったお母さんも私と一緒に生きては行けないんだのに」そこで彼女は数日・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・纈り腮をわざと突き出したほど上を仰き、左の牙歯が上唇を噛んでいるので、高い美しい鼻は高慢らしくも見える。懐手をして肩を揺すッて、昨日あたりの島田髷をがくりがくりとうなずかせ、今月一日に更衣をしたばかりの裲襠の裾に廊下を拭わせ、大跨にしかも急・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・羊の足の神、羽根のある獣、不思議な鳥、または黄金色の堆高い果物。この種々な物を彫刻家が刻んだ時は、この種々な物が作者の生々した心持の中から生れて来て、譬えば海から上った魚が網に包まれるように、芸術の形式に包まれた物であろう。己はお前達の美に・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・殊にこの香ばしい涼しい匂いは酸液から来る匂いであるから、酸味の強いものほど香気が高い。柚橙の如きはこれである。その他の一般の菓物は殆ど香気を持たぬ。○くだものの旨き部分 一個の菓物のうちで処によりて味に違いがある。一般にいうと心の方より・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ その明け方の空の下、ひるの鳥でもゆかない高いところをするどい霜のかけらが風に流されてサラサラサラサラ南のほうへとんでゆきました。 じつにそのかすかな音が丘の上の一本いちょうの木に聞こえるくらいすみきった明け方です。 いちょうの・・・ 宮沢賢治 「いちょうの実」
・・・ この作品が、日本の今日の映画製作の水準において高いものであることは誰しも異議ないところであろうと思う。一般に好評であるのは当然である。けれども、この次の作品に期待される発展のために希望するところが全くない訳ではない。 溝口健二は、・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・ 今日はどうしても高井にたのまなければならないからと思って電話をかける。 声の太い頭の鈍そうな男が出て、私が早口だと見えて、「おそれ入りますが、どうぞ、 もう少しゆっくりおっしゃって下さい。と云う。 主人が旅行中で十・・・ 宮本百合子 「一日」
・・・一八〇四年以前に他界した英雄どもはまことに仕合わせものだ!p.30 テランス男爵 ――彼も戦場では勇敢そのものであったが 帝政時代となってからは、その自信を失った。 スタンダールのアメリカ観 共和主義者観・・・ 宮本百合子 「「緑の騎士」ノート」
出典:青空文庫