・・・ ぼんやりしていて、それが他所の子の泣声だと気がつくまで、死んだ妹の声の気持がしていた。「誰だ。暑いのに泣かせたりなんぞして」 そんなことまで思っている。 彼女がこと切れた時よりも、火葬場での時よりも、変わった土地へ来てする・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・とっつきの店のそれもとっつきに値を聞いた古雑誌、それが結局は最後の選択になったかと思うと馬鹿気た気になった。他所の小僧が雪を投げつけに来るのでその店の小僧はその方へ気をとられていた。覚えておいたはずの場所にそれが見つからないので、まさか店を・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・私の病鬱は、おそらく他所の部屋には棲んでいない冬の蠅をさえ棲ませているではないか。いつになったらいったいこうしたことに鳧がつくのか。 心がそんなことにひっかかると私はいつも不眠を殃いされた。眠れなくなると私は軍艦の進水式を想い浮かべる。・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・天下一品と誇っていたものが他所にもあったというのだからである。で、「それならばその品を視せて下さい」というと、丹泉は携えて来ていたのであるから、異議なく視せた。唐は手に取って視ると、大きさから、重さから、骨質から、釉色の工合から、全くわが家・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・よいか、わしが無理借りに此方へ借りて来て、七ツ下りの雨と五十からの芸事、とても上りかぬると謗らるるを関わず、しきりに吹習うている中に、人の居らぬ他所へ持って出ての帰るさに取落して終うた、気が付いて探したが、かいくれ見えぬ、相済まぬことをした・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・全体漁夫という者は、自分の漁場を大切にするから、他所へ出て利益があるという場合にはドシドシ他所へ出て往って漁をする。それは是非共漁の総ての関係からして、左様いうように仕なければ漁場が荒れて仕舞うので、年のいかないものや、働きの弱い年寄などは・・・ 幸田露伴 「夜の隅田川」
・・・ と、半分泣きかけて呼ぶ他所の子供の声に、はっと胸を突かれた。私を呼んでいるのではないけれども、いまのあの子に泣きながら慕われているその「おねえちゃん」を羨しく思うのだ。私にだって、あんなに慕って甘えてくれる弟が、ひとりでもあったなら、私は・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・な情緒を、薔薇を、すみれを、虫の声を、風を、にやりと薄笑いして敬遠し、もっぱら、「我は人なり、人間の事とし聞けば、善きも悪しきも他所事とは思われず、そぞろに我が心を躍らしむ。」とばかりに、人の心の奥底を、ただそれだけを相手に、鈍刀ながらも獅・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・例えばある牧場の面積を測る事、他所のと比較する事などを示す。寺塔を指してその高さ、その影の長さ、太陽の高度に注意を促す。こうすれば、言葉と白墨の線とによって、大きさや角度や三角函数などの概念を注ぎ込むよりも遥かに早く確実に、おまけに面白くこ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・の話によると、このまだ若い学者は、どこか近い田舎に小さな別荘のようなものを有っていて、暇のあるごとにそこへ行く、そうして平和な周囲と新鮮な空気の中に想を練りペンを使う、どうかすると芝生の上に寝転がって他所目にはぼんやり雲を眺めているそうであ・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫