・・・むずと動かして、溝の上へ膝を摺出す、その効なく……博多の帯を引掴みながら、素見を追懸けた亭主が、値が出来ないで舌打をして引返す……煙草入に引懸っただぼ鯊を、鳥の毛の采配で釣ろうと構えて、ストンと外した玉屋の爺様が、餌箱を検べる体に、財布を覗・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・そうして当時の玉屋の店へはいって父が時計か何かをひやかしたと思われる。とにかくその時の玉屋の店の光景だけは実にはっきりした映像としていつでも眼前に呼び出すことができる。 夜ふけて人通りのまばらになった表の通りには木枯らしが吹いていた。黒・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ 一九二七年の冬、ロシアへ行くときまったとき、じゃあ、餞別に一つ時計をやろう、父がそう云って、私を銀座の玉屋へつれて行った。いろいろ見て、少しいいのがよかろうと、父はモアドの腕時計を一つ選んでくれた。落付いたいい趣味で、リボンも黒いのよ・・・ 宮本百合子 「時計」
・・・この霊屋の下に、翌年の冬になって、護国山妙解寺が建立せられて、江戸品川東海寺から沢庵和尚の同門の啓室和尚が来て住持になり、それが寺内の臨流庵に隠居してから、忠利の二男で出家していた宗玄が、天岸和尚と号して跡つぎになるのである。忠利の法号は妙・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫