・・・ 店の電話に向って見ると、さきは一しょに中学を出た、田村と云う薬屋の息子だった。「今日ね。一しょに明治座を覗かないか? 井上だよ。井上なら行くだろう?」「僕は駄目だよ。お袋が病気なんだから――」「そうか。そりゃ失敬した。だが・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・「当時信行寺の住職は、田村日錚と云う老人でしたが、ちょうど朝の御勤めをしていると、これも好い年をした門番が、捨児のあった事を知らせに来たそうです。すると仏前に向っていた和尚は、ほとんど門番の方も振り返らずに、「そうか。ではこちらへ抱いて・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・「田村先生、お早う」「お前かい?」「来たら、いけないの?」ぴッたり、僕のそばにからだを押しつけて坐った。それッきりで、目が物を言っていた。僕はその頸をいだいて口づけをしてやろうとしたら、わざとかおをそむけて、「厭な人、ね」・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ と心配したが、それから一月余り経ったある朝の新聞の大阪版に、合格者の名が出ていて、その中に田村道子という名がつつましく出ていた。道子の姓名は田中道子であった。それが田村道子となっているのは、たぶん新聞の誤植であろうと、道子は一応考えた・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・朝夕の秋風身にしみわたりて、上清が店の蚊遣香懐炉灰に座をゆづり、石橋の田村やが粉挽く臼の音さびしく、角海老が時計の響きもそぞろ哀れの音を伝へるやうになれば、四季絶間なき日暮里の火の光りもあれが人を焼く烟かとうら悲しく、茶屋が裏ゆく土手下の細・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・然し、事実は愛情もない、別々に生活している男女が法律の上でだけは夫婦で、しかもその法律が物をいい出せば、夫である田村純夫がいろいろ支配力を自分の上に持っているという考えは何と奇怪であろう。陽子は益々自分の中途半端な立場を感じ、謂わば、枝に引・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・その他で、女性の自我を主張し、情熱を主張していた田村俊子はその異色のある資質にかかわらず、多作と生活破綻から、アメリカへ去る前位であった。 こういう文学の雰囲気の中に素朴な姿であらわれた「貧しき人々の群」は、少女の書いたものらしく、ロマ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」
・・・ そのころ、文芸家協会の事務所が、芝田村町の、妙に粋めいた家に置かれていた。一室に事務所があった。私は、ある午後、ひとりでそこを訪ねた。英文学の仕事をしていた某氏が事務担当をしていた。私の用事は、前に中野さんと某氏を訪ねたとおなじ題目で・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・そのために時間や精力を費すべきものとそうでないものとの区別がはっきり感情の上でしていて。田村俊子さんがアメリカからかえって来て、この間の雨の日、浦和の田舎の名物の鯉こくをいろんなひとと食べにゆき、いろいろ話し、大変面白く感じました。ゴーリキ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 田村泰次郎のアミがそれだなどと言う人があったら、失礼ながら私はひっくりかえって笑わなければならぬ云々」「戦争を自分のなま身でもって生き、通過して来た上で、作家としての自我と仕事を確立して行こうとしている人間」の言葉として、「田村が作家とし・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
出典:青空文庫