・・・それにもかかわらず、自分の詠まれた短歌、その他については、はにかみ深くて、決してひとに示したり、そういう話題を選ぶことをされなかった。 古田中正彦氏は、文学への愛好が深く、やはり短歌に蘊蓄が浅くない上、著書も持って居られる。長女の峰子さ・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・この報告では新しい方向に研究を展開しはじめている国文学、短歌、俳句、戯曲、児童文学等についてふれることができませんでした。この報告の不十分な点ですから、それを諒解してよんでいただきたいと思います。〔一九四七年五・六月〕・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・ 雑誌をよんだり、短歌集を引き出して見たりしても、どうしても、ハーッと思う様なのが見つからない。 情ない様な気がする。 腹が立った様な気持になって、さっきまで、何となし気が軽くて、母に甘ったれたり、笑ったりして居たのに、もうすっ・・・ 宮本百合子 「短歌」
・・・翌年、もう節は喉頭結核の宣言をうけ、その後は転々として五年間の療養生活の間に主として短歌に熱中し『アララギ』に「鍼の如く」数百首を発表した。この時代節の歌境は非常に冴えて、きびしく鋭く読者の心に迫る短歌を生んだ。しかし、散文としては終に「土・・・ 宮本百合子 「「土」と当時の写実文学」
・・・お前にこそ、富樫でも大事な御亭主だろうが、このひろい世間で、あんな男一匹が、という風に、母は啖呵をきった。一刻もうちにはおけない。すぐ二人でどこへでも出て行くがいい。さっさと出て貰おう! そう云った。富樫はあやまって、はつにもあやまらせて、・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・『改造』『中央公論』などという綜合雑誌の発行所がその雑誌の属する第七部とかには出ていないで中央公論社は、『婦人公論』で第五部に、改造社は『短歌研究』、『俳句研究』で、研究社の『英語研究』と同じ類別のなかにくまれていたと書かれていたように記憶・・・ 宮本百合子 「日本文化のために」
・・・同時に『人民短歌』のグループと民主的詩人の活動も開始された。世界の人民的な民主主義の本質にしたがって、日本の民主主義文学運動もその主力を労働者階級の文学におき、世界と日本のプロレタリア文学運動の成果を批判し継承しながら、多様でひろい人民層の・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・と云う啖呵文を読売紙上に発表して、三上於菟吉と共に民間ファッショの親玉として名乗りを揚げた。これは却々興味ある一つの出来事だ。直木三十五は持前のきかん気から中間層のインテリゲンチャが、ファッショ化と共に人道主義的驚愕を示し然も自身では右へも・・・ 宮本百合子 「ブルジョア作家のファッショ化に就て」
・・・天皇制を批判したりするものに娘を嫁にやらないなどと、世間のおやじが酔っぱらった時にあぐらをかいていうような啖呵を、文学者としていえるということは日本の過去の社会感覚の中で「自我」がいかに低い内容をもち、いかに封建的であり、隷属的であるかとい・・・ 宮本百合子 「平和運動と文学者」
・・・ と啖呵をきった笑話がある。 当時の人民層がおもっていた社会と政治感覚のこんな素朴さ。しかし、官員万能であり、時を得た人、成り上がりが幅をきかしても一般には思うにまかせない貧富の差、生活向上をねがう人間の権利に対する機会の不平等などは、・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
出典:青空文庫