・・・ 油地獄にも、ならずものの与兵衛とかいう若い男が、ふとしたはずみで女を、むごたらしく殺してしまって、その場に茫然立ちつくしていると、季節は、ちょうど五月、まちは端午の節句で、その家の軒端の幟が、ばたばたばたばたと、烈風にはためいている音・・・ 太宰治 「音に就いて」
・・・――妙なことには、馬場はなかなか暦に敏感らしく、きょうは、かのえさる、仏滅だと言ってしょげかえっているかと思うと、きょうは端午だ、やみまつり、などと私にはよく意味のわからぬようなことまでぶつぶつ呟いていたりする有様で、その日も、私が上野公園・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・ヒイタサントオルムという日本の風俗を記した小冊子と、デキショナアリヨムという日本の単語をいちいちロオマンの単語でもって飜訳してある書物と、この二冊で勉強したのであった。ヒイタサントオルムのところどころには、絵をえがきいれた頁がさしはさまれて・・・ 太宰治 「地球図」
・・・ 府中から百草園に行くのも面白い。玉川鉄道で二子に行って若鮎を食うのも興がある。国府台に行って、利根を渡って、東郊をそぞろあるきするのも好い。 端午の節句――要垣の赤い新芽の出た細い巷路を行くと、ハタハタと五月鯉の風に動く音がする。・・・ 田山花袋 「新茶のかおり」
・・・それをあけて見ながら、何かしら単語のようなものを切れ切れに読んで聞かせた。それは「コンニチワ」「オハヨオ」などというような種類のものであったが、あまり発音が変っているから、はじめは日本語だとは気が付かないくらいであった。何だか聞きとれない言・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・ただ人々の態度とおりおり聞こえる単語や、間投詞でおよその事件の推移を臆測し、そうして自分の頭の中の銀幕に自製のトーキー「東京の屋根の下」一巻を映写するのである。 それで「パリの屋根の下」の観客は、この東京の電車や四つ辻におけると同じよう・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 語学を修得するにまず単語を覚え文法を覚えなければならない。しかしただそれを一通り理解し暗記しただけでは自分で話す事もできなければ文章も書けない。長い修練によってそれをすっかり体得した上で、始めて自分自身の考えを運ぶ道具にする事ができる・・・ 寺田寅彦 「数学と語学」
・・・「語彙」「単語」のみを問題として、語辞構成法や文法上の問題には少しも触れなかった。しかし自分は決して後者の比較の重要な事を無視しているのではない事を断わっておきたい。もっとも文法のごときものでも、これを数理的の問題として取り扱う事が必ずしも・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・黄楊の小櫛という単語さえもがわれわれの情緒を動かすにどれだけ強い力があるか。其処へ行くと哀れや、色さまざまのリボン美しといえども、ダイヤモンド入りのハイカラ櫛立派なりといえども、それらの物の形と物の色よりして、新時代の女子の生活が芸術的幻想・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・早速電話したところ、現在カタログはなくて、在庫品としては単語集と童話集があるだけだそうです。『毎日年鑑』はまだ出ていませんが出次第とっておきましょう。 赤ん坊はずっと良好で三十日のお七夜には健之助という名がつきました。そちらの御意見・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫