・・・そして、有妻の男子が他の女と通ずる事を罪悪とし、背倫の行為とし、唾棄すべき事として秋毫寛すなき従来の道徳を、無理であり、苛酷であり、自然に背くものと感じ、本来男女の関係は全く自由なものであるという原始的事実に論拠して、従来の道徳に何処までも・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・沼南統率下の毎日新聞社の末期が惰気満々として一人も本気に働くものがなかったのはこれがためであった。 松隈内閣だか隈板内閣だかの組閣に方って沼南が入閣するという風説が立った時、毎日新聞社にかつて在籍して猫の目のようにクルクル変る沼南の朝令・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 四 闇市場で売っている蛍を見て、美しいと思ったなどという感傷は、思えば唾棄すべきではあるまいか。だいいち、このような型の感傷、このような型の文章は、戦争中「心の糧になるゆとりを忘れるな」という名目で随分氾濫したし、・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・俺も今こそかの芸術の仮面家どもを千里の遠くに唾棄して、安んじて生命の尊く、人類の運命の大きくして悲しきを想うことができる……」 寝間の粗壁を切抜いて形ばかりの明り取りをつけ、藁と薄縁を敷いたうす暗い書斎に、彼は金城鉄壁の思いかで、籠って・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・と呼んで唾棄する習慣が在ったという。その気の毒な、愚かな作家は、私同様に、サロンに於て気のきいた会話が何一つ出来ず、ただ、ひたすらに、昨今の天候に就いてのみ語っている、という意味なのであろうが、いかさま、頭のわるい愚物の話題は、精一ぱいのと・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・日本の武士道とやまとだましいのはりこの面のうらの、醜さ、卑劣さとして、世界的に唾棄されている。軍につながる高級官僚たちが素早く我をかばった保身の術も、同情をもってみられてはいない。 いま新京を遁走するという八月九日の夜、観象台の課長であ・・・ 宮本百合子 「ことの真実」
・・・部屋数がないから、彼女は早く起きても自分だけ自由な行動はとれない、そのうちに眠っていた時は何でもなかった朝おそい室内の空気は、醒めて見ると、何と唾棄すべきものだろう。そこで、フダーヤは癇癪を起して私を起してしまわないため、よい仲間という名を・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・によって、今日はトンネルがくずれて汽車では通れなくなっているところをも街道を草鞋ばきで目的地へ行きつける場合もあること、しかし汽車があるのにちょんまげつけて歩く方を選ぶという方法の唾棄すべきこと、並に、史実は甚だ重要ではあるが唯一の準拠的な・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・女中がけろりとしていたとか何とか、罪のない眼附を良人の顔の上へ注ぎながら云っていた尚子の丸い顔を思い出すと、多喜子はそこにああいう日暮しの人々の結婚生活というもののかげに潜んでいる非常に恐ろしい、唾棄するようなものが、尚子にも気附かれずのぞ・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・ ダンテの神曲が、後代の卑俗な研究家によって地獄、煉獄、天国の地図をつくられているのにならって、小樽市の現実的な地図などを小説の間に插入している作者の人をくった態度は、唾棄すべきである。或は、小林秀雄氏の所謂「象徴的価値」としての文学的・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
出典:青空文庫