・・・それさえちゃんとわかっていれば、我々商人は忽ちの内に、大金儲けが出来るからね」「じゃ明日いらっしゃい。それまでに占って置いて上げますから」「そうか。じゃ間違いのないように、――」 印度人の婆さんは、得意そうに胸を反らせました。・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ 紆波といいますね、その波がうっていました。ちゃぷりちゃぷりと小さな波が波打際でくだけるのではなく、少し沖の方に細長い小山のような波が出来て、それが陸の方を向いて段々押寄せて来ると、やがてその小山のてっぺんが尖って来て、ざぶりと大きな音・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・トンミイ、フレンチ君が、糊の附いた襟が指に障るので顫えながら、嵌まりにくいシャツの扣鈕を嵌めていると、あっちの方から、鈍い心配気な人声と、ちゃらちゃらという食器の触れ合う音とが聞える。「あなた、珈琲が出来ました。もう五時です。」こう云う・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・僕はもう下宿生活には飽き飽きしちゃった。A よく自分に飽きないね。B 自分にも飽きたさ。飽きたから今度の新生活を始めたんだ。室だけ借りて置いて、飯は三度とも外へ出て食うことにしたんだよ。A 君のやりそうなこったね。B そうか・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ 渠が寝られぬ短夜に……疲れて、寝忘れて遅く起きると、祖母の影が見えぬ…… 枕頭の障子の陰に、朝の膳ごしらえが、ちゃんと出来ていたのを見て、水を浴びたように肝まで寒くした。――大川も堀も近い。……ついぞ愚痴などを言った事のない祖母だ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・「どうでしょう、雨になりはしますまいか、遠くへのりだしてから降られちゃ、たいへんですからな」といえば、「ハイ……雨になるようなことはなかろうと申しておりますが」という。予は一種の力に引きおこされるような思いに二階をおりる。・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・「女郎どもは、まア、あッちゃへ行とれ。」「はい、はい。」 細君は笑いながら、からの徳利を取って立った。 友人は手をちゃぶ台の隅にかけながら、顔は大分赤みの帯び来たのが、そばに立ってるランプの光に見えた。「岩田君、君、今、・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・「そして、みっちゃん、その博士が、お礼にきれいなお人形を送ってくださる約束をしたんだよ。みっちゃん、楽しみにして、待っておいで。」と、信吉はいいました。「ほんとう? 私、うれしいわ。」「みっちゃんは、どんなお人形が好き?」「・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・褌一筋だって、肌に着けてちゃ、螫られて睡られやしない、素裸でなくっちゃ……」 なるほど、そう言われて気をつけて見ると、誰も誰も皆裸で布団に裹まって、木枕の間から素肌が見えている。私も帯を解いて着物を脱いだ。よほど痒みも少なくて凌ぎよい。・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・屋があったり、赤い暖簾の隙間から、裸の人が見える銭湯があったり、ちょうど大阪の高台の町である上町と、船場島ノ内である下町とをつなぐ坂であるだけに、寺町の回顧的な静けさと、ごみごみした市井の賑かさがごっちゃになったような趣きがありました。・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫