・・・ 独立な屋根をもった舞台の三方を廻廊のような聴衆観客席が取り囲んで、それと舞台との間に溝渠のような白洲が、これもやはり客席になっている。廻廊の席と白洲との間に昔はかなり明白な階級の区別がたったものであろうと思われた。自分の案内されたのは・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・演壇のまわりを、組合員と学生が五十人ばかりとりまいているほかは、ひろい公会堂の隅の方に、一般聴衆の三人五人が下足をつまんで、中腰にしゃがんでいる。そしてそんな聴衆も、高島が演壇にでてきて五分もたつと、ぶえんりょに欠伸などしながら帰ってしまっ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ わたしは筆を中途に捨てたわが長編小説中のモデルを、しばしば帝国劇場に演ぜられた西洋オペラまたはコンセールの聴衆の中に索めようと力めた。また有楽座に開演せられる翻訳劇の観客に対しては特に精細なる注意をなした。わたしは漸くにして現代の婦人・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・これは友人滝君が京都大学で本邦美術史の講演を依託された際、聴衆に説明の必要があって、建築、彫刻、絵画の三門にわたって、古来から保存された実物を写真にしたものであるから、一枚一枚に観て行くと、この方面において、わが日本人が如何なる過去をわれわ・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
・・・高原君はしきりに聴衆諸君に向って厭になったら遠慮なく途中で御帰りなさいと云われたようですが私は厭になっても是非聴いていていただきたいので、その代り高原君ほど長くはやりません。この暑いのにそう長くやっては何だか脳貧血でも起しそうで危険ですから・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・これだけの聴衆全体に通るような声を出そうとすれば――第一出る訳がないけれども、万一出るにしても十五分ぐらいで壇を降りなければやりきれないだろうと思います。したがって、始めての事でもあるしこれほど御集りになった諸君の御厚意に対してもなるべく御・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・代りには、これをして断じて政事に関するを得せしめず、如何なる場合においても、学校教育の事務に関する者をして、かねて政事の権をとらしむるが如きは、ほとんどこれを禁制として、政権より見れば、学者はいわゆる長袖の身分たらんこと、これまた我が輩の祈・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ところが聴衆はしいんとなって一生けん命聞いています。ゴーシュはどんどん弾きました。猫が切ながってぱちぱち火花を出したところも過ぎました。扉へからだを何べんもぶっつけた所も過ぎました。 曲が終るとゴーシュはもうみんなの方などは見もせずちょ・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
・・・常珍らなるかかる夜は燿郷の十二宮眼くるめく月の宮瑠璃の階 八尋どの玉のわたどの踏みならし打ち連れ舞わん桂乙女うまし眉高く やさめの輝き長袖花をあざむけば天馳つかい喜び誦し山祇もみずとりだまもと・・・ 宮本百合子 「秋の夜」
・・・出来ない言葉を対手に分らせようとする熱中から私は不思議にその時聴衆の顔がはっきり見えた。私が「分りますか」というと「分る、心配するな」といってくれる髯の爺さんの笑っている顔もはっきり、よろこびをもって認めることが出来た。 これは小さい経・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
出典:青空文庫