・・・これは確か、君が朝鮮から帰って来た頃の事だったろう。あの頃の僕は、いかにして妻の従弟から妻を引き離そうかと云う問題に、毎日頭を悩ましていた。あの男の愛に虚偽はあっても、妻のそれは純粋なのに違いない。――こう信じていた僕は、同時にまた妻自身の・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
ある夏の日、笠をかぶった僧が二人、朝鮮平安南道竜岡郡桐隅里の田舎道を歩いていた。この二人はただの雲水ではない。実ははるばる日本から朝鮮の国を探りに来た加藤肥後守清正と小西摂津守行長とである。 二人はあたりを眺めながら、・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・ 僕は挑戦的に話しかけた。すると彼は微笑しながら、「どこ、君の部屋は?」と尋ね返した。 僕等は親友のように肩を並べ、静かに話している外国人たちの中を僕の部屋へ帰って行った。彼は僕の部屋へ来ると、鏡を後ろにして腰をおろした。それからい・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・大連が一台ずつ、黒塗り真円な大円卓を、ぐるりと輪形に陣取って、清正公には極内だけれども、これを蛇の目の陣と称え、すきを取って平らげること、焼山越の蠎蛇の比にあらず、朝鮮蔚山の敵軍へ、大砲を打込むばかり、油の黒煙を立てる裡で、お誓を呼立つるこ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ときどきの消息に、帰国ののちは山中に閑居するとか、朝鮮で農業をやろうとか、そういうところをみれば、君に妻子を忘れるほどのある熱心があるとはみえない。 こういうと君はまたきっと、「いやしくも男子たるものがそう妻子に恋々としていられるか」と・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・文人は文人同志で新思想の蒟蒻屋問答や点頭き合いをしているだけで、社会に対して新思想を鼓吹した事も挑戦した事も無い。今日のような思想上の戦国時代に在っては文人は常に社会に対する戦闘者でなければならぬが、内輪同士では年寄の愚痴のような繰言を陳べ・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・その面積は朝鮮と台湾とを除いた日本帝国の十分の一でありまして、わが北海道の半分に当り、九州の一島に当らない国であります。その人口は二百五十万でありまして、日本の二十分の一であります。実に取るに足りないような小国でありますが、しかしこの国につ・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・「さあ、いろいろ談せば長いけれど……あれからすぐ船へ乗り込んで横浜を出て、翌年の春から夏へ、主に朝鮮の周囲で膃肭獣を逐っていたのさ。ところが、あの年は馬鹿にまた猟がなくて、これじゃとてもしようがないからというので、船長始め皆が相談の上、・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ もと近所に住んでいた古着屋の息子の新ちゃんで、朝鮮の聯隊に入営していたが、昨日除隊になって帰ってきたところだという。何はともあれと、上るなり、「嫁はんになったそうやな。なぜわいに黙って嫁入りしたんや」 と、新ちゃんは詰問した。・・・ 織田作之助 「雨」
・・・この手は将棋の定跡というオルソドックスに対する坂田の挑戦であった。将棋の盤面は八十一の桝という限界を持っているが、しかし、一歩の動かし方の違いは無数の変化を伴なって、その変化の可能性は、例えば一つの偶然が一人の人間の人生を変えてしまう可能性・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫