・・・そして、秋がくる時分には、どこの林も、丘も、森も、黄色になって風のまにまにそれらの葉が散りはじめました。冬が過ぎ、また春がめぐってくるというふうに繰り返されたのであります。 この国には、昔からのことわざがありまして、夏の晩方の海の上にう・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・月日がたつにつれて、ガラスのびんはしぜんに汚れ、また、ちりがかかったりしました。飴チョコは、憂鬱な日を送ったのであります。 やがてまた、寒さに向かいました。そして、冬になると、雪はちらちらと降ってきました。天使は田舎の生活に飽きてしまい・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・ これは、私にとって、特殊的な場合でありますが、長男は、来年小学校を出るのですが、図画、唱歌、手工、こうしたものは自からも好み、天分も、その方にはあるのですが、何にしても、数学、地理、歴史というような、与えられたる事実を記憶したりする学・・・ 小川未明 「男の子を見るたびに「戦争」について考えます」
・・・そして、ちりぢりばらばらに、めいめいの家へ帰ってしまいました。 その日の昼過ぎから、沖の方は暴れて、ひじょうな吹雪になりました。夜になると、ますます風が募って、沖の方にあたって怪しい海鳴りの音などが聞こえたのであります。 その明くる・・・ 小川未明 「黒い人と赤いそり」
・・・はいる目的によって、また地理的な便利、不便利によって、どうもぐりこもうと、勝手である。誰も文句はいわない。 しかし、少くとも寺と名のつく以上、れっきとした表門はある。千日前から道頓堀筋へ抜ける道の、丁度真中ぐらいの、蓄音機屋と洋品屋の間・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・宵に脱ぎ捨てた浴衣をまた着て、机の前に坐り直した拍子に部屋のなかへ迷い込んで来た虫を、夏の虫かと思って団扇ではたくと、チリチリとあわれな鳴き声のまま息絶えて、秋の虫であった。遠くの家で赤ん坊が泣きだした、なかなか泣きやまない。その家の人びと・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・ 桜の花が中庭に咲き、そして散り、やがていやな梅雨が来ると、喜美子の病気はますますいけなくなった。梅雨があけると生国魂神社の夏祭が来る、丁度その宵宮の日であった。喜美子が教えていた戦死者の未亡人達が、やがて卒業して共同経営の勲洋裁店を開・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・お下りさんやおへんか。お下りさんはこちらどっせ、お土産はどうどす。おちりにあんぽんたんはどうどす……。京のどすが大阪のだすと擦れ違うのは山崎あたりゆえ、伏見はなお京言葉である。自然彦根育ちの登勢にはおちりが京塵紙、あんぽんたんが菓子の名など・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ さすがの佐伯もそんな部屋にいてはますます病気を悪くするばかりだとチリチリ焦躁を感じていたらしかったが、ほかのアパートや部屋へ移ろうとしない。その気になれないのだ。ほんのちょっとした弾みがつかないのである。得体の知れぬ部屋の悪臭をかぎな・・・ 織田作之助 「道」
・・・私にとって、大阪人とは地理的なものを意味しない。スタンダールもアランも私には大阪人だ。すこし強引なようだが、私は大阪人というものをそのように広く解している。義理人情の世界、経済の世界が大阪ではない。元禄の大坂人がどんな風に世の中を考え、どん・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
出典:青空文庫