・・・ 可愛ゆいと云っても、徒に贅沢な着物を着せるではなく、ちやほやするではなく、たとい転んで泣いても自分で起きさせ、自分で壊した玩具なら、自分でなおすなり、工夫してそれを巧く使えるようにするなり、何でも自発力で生活させようとする意識は、如何・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・けれども、このつつましい、繊手なおよくそれを支える一つの手鏡が何と興味つきない角度から、言葉すくなく、善良な一人のアメリカ婦人の衿あしにみだれかかる幾筋かのおくれ毛を見せてくれているだろう。東と西とが団欒する客間の椅子では語られず、聴かれな・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・手に入るものは、プロレタリア文学運動を何処かでゆがめていわゆる自己批判したものや、反対的立場から観察したようなものが多くて、熱心に、理性的な発展的文学の方向をさぐっていた人々は、まるで屑糸の中から使える糸をぬき出して縫物をするように、銘々の・・・ 宮本百合子 「討論に即しての感想」
・・・ 母の臨終の床でも私はあまり泣かなかったし、それからいろいろの儀式のうちに礼装をした父が白いハンカチーフをとり出して洟をかむときも、並んで坐っている私はその父の姿を渾心の力で支えるような気持で矢張りあまり泣けなかった。三十七年もの間生活・・・ 宮本百合子 「母」
・・・それらの機械の精巧さ、小学校を出たばかりの女の子でも使えるまで高度に調整され、単純化された分業の過程というものは、少くとも日本の文明のある水準を語るものでなければならないと思う。そのことに疑点を挾むものはおそらく一人もないであろう。 と・・・ 宮本百合子 「婦人の文化的な創造力」
・・・を評して、常に女に与えられている「仕える」という言葉を断じて許さずといったのは諭吉であったが、菊池寛氏の「新女大学」には、良人に「よく仕え」と無意識のうちにさも何気なく同じつかいかたがよみがえらされて来ている。歴史をくぐるこの微妙な一筋の糸・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
・・・六人家内の家庭で、旧円が使える間の生計費をさしひいたあと、現金で六百円並べてすぐ代えた人が多いか。それとも、人数を掛けただけの百円を揃えかねた人の方が多かったか。 一人宛百円ずつ預金を引出せるときくと、その金は、誰にでもあって、誰かがち・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・淡島の神主と云うのは、神社で神に仕えるものではない。胸に小さい宮を懸けて、それに紅で縫った括猿などを吊り下げ、手に鈴を振って歩く乞食である。 その時九郎右衛門、宇平の二人は文吉に暇を遣ろうとして、こう云った。これまでも我々は只お前と寝食・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ 考えれば、寝ても立ってもおられぬときだのに、大厦を支える一木が小説のことをいうのである。遽しい将官たちの往き来とソビエットに挟まれた夕闇の底に横たわりながら、ここにも不可解な新時代はもう来ているのかしれぬと梶は思った。「それより、・・・ 横光利一 「微笑」
・・・自分の愛は二、三の特殊の場合をようやく支えるに足りるほどである。 それ故に自分は醜くまた弱い自分を絶えず眼の前に見ている。自分の我を以て常に人の弱所を突こうとしている卑しい自分を絶えず見まもっている。後悔が鋭く胸を刺すことも稀ではない。・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
出典:青空文庫