・・・ 帰って湯に入って、寝たが、綿のように疲れていながら、何か、それでも寝苦くって時々早鐘を撞くような音が聞えて、吃驚して目が覚める、と寝汗でぐっちょり、それも半分は夢心地さ。 明方からこの風さな。」「正寅の刻からでござりました、海・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・越後巫女は、水飴と荒物を売り、軒に草鞋を釣して、ここに姥塚を築くばかり、あとを留めたのであると聞く。 ――前略、当寺檀那、孫八どのより申上げ候。入院中流産なされ候御婦人は、いまは大方に快癒、鬱散のそとあるきも出来候との事、御安心下さ・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・果してしからば、我が可懐しき明神の山の木菟のごとく、その耳を光らし、その眼を丸くして、本朝の鬼のために、形を蔽う影の霧を払って鳴かざるべからず。 この類なおあまたあり。しかれども三三に、…………曾て茸を採りに入りし者、白望の山奥・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・……長塚の工事は城を築くような騒ぎだぞ。」「まだ通れないのか、そうかなあ。」店の女房も立って出た。「来月半ばまで掛るんだとよう。」「いや、難有う。さあ引返しだ。……いやしくも温泉場において、お客を預る自動車屋ともあるものが、道路の交通、是非・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・夕暮の鷺が長い嘴で留ったようで、何となく、水の音も、ひたひたとするようだったが、この時、木菟のようになって、とっぷりと暮れて真暗だった。「どうした、どうした。……おお、泣いているのか。――私は……」「ああれ、旦那さん。」 と・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 予は思わずそう邪険にいって帰途につく。兄夫婦も予もなお無言でおれば、子どもらはわけもわからずながら人々の前をかねるのか、ふたりは話しながらもひそひそと語り合ってる。 去年母の三年忌で、石塔を立て、父の名も朱字に彫りつけた、それも父・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・並の席より尺余床を高くして置いた一室と離屋の茶室の一間とに、家族十人の者は二分して寝に就く事になった。幼ないもの共は茶室へ寝るのを非常に悦んだ。そうして間もなく無心に眠ってしまった。二人の姉共と彼らの母とは、この気味の悪い雨の夜に別れ別れに・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・其為すべき事を為し、一日の終結として用意ある晩食が行われる、それぞれ身分相当なる用意があるであろう、日常のことだけに仰山に失するような事もなかろう、一家必ず服を整え心を改め、神に感謝の礼を捧げて食事に就くは、如何に趣味深き事であろう、礼儀と・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・省作が目をさました時は、満蔵であろう、土間で米を搗く響きがずーんずーと調子よく響いていた。雨で家にいるとせば、繩でもなうくらいだから、省作は腹の中ではよいあんばいだわいと思いながら元気よく起きた。 省作は今日休ませてもらいたいのだけれど・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・此気分のよいところで早速枕に就くこととする。 強いて頭を空虚に、眼を閉じてもなかなか眠れない、地に響くような波の音が、物を考えまいとするだけ猶強く聞える。音から聯想して白い波、蒼い波を思い浮べると、もう番神堂が目に浮んでくる。去年は今少・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
出典:青空文庫