・・・私が東京を去って、この七月でまる四年になるが、その間に、街路や建物が変化したであろうと想像される以上に人間が特に文学の上で変っていることが数すくない雑誌や、旬刊新聞を見ても眼につく。殊に、それが現実の物質的な根拠の上に立っての変化でなく、現・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・ 帰って、──いつも家へ着くのは晩だが、その翌朝、先ず第一に驚くことは、朝起きるのが早いことである。五時頃、まだ戸外は暗いのに、もう起きている。幼い妹なども起される。──麦飯の温いやつが出来ているのだ。僕も皆について起きる。そうすると、・・・ 黒島伝治 「小豆島」
・・・剣で突く者がある。煮え湯をあびせられたような悲鳴が聞えて来た。「あァ、あァ、あァ。」語学校を出て間がない、若い通訳は、刺すような痛みでも感じたかのように、左右の手を握りしめて叫んだ。「女を殺している。若い女を突き殺してる!――大隊長殿あ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・「イヤ割が悪いどころでは無い、熔金を入れるその時に勝負が着くのだからネ。機嫌が甚く悪いように見えたのは、どういうものだか、帰りの道で、吾家が見えるようになってフト気中りがして、何だか今度の御前製作は見事に失敗するように思われ出して、それ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・というものはその男が最初甚だしい貧家に生れたので、思うように師を得て学に就くという訳には出来なかったので、田舎の小学を卒ると、やがて自活生活に入って、小学の教師の手伝をしたり、村役場の小役人みたようなことをしたり、いろいろ困苦勤勉の雛型その・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・堪らなく痛かったが両親に云えば叱られるから、人前だけは跛も曳かずに痩我慢して痛さを耐えてひた隠しに隠して居ましたが、雑巾掛けのときになって前へ屈んで膝を突くのが痛くて痛くてほとほと閉口しました。然し終に其の為めに叱られるには至りませんでした・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・子供の折は犬が非常に嫌いでしたから、怖々に遠くの方を通ると、狗は却って其様子を怪んで、ややもすると吠えつく。余り早いので人通は少し、これには実に弱りました。或朝などは怖々ながらも、また今にも吠えられるか噛みつかれるかと思って、其犬の方ばかり・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・か、此山にては月々十九日に飯生酒など本社より八町ほど隔たりたるところに供置きて与うといえば、出で来ぬには限らぬなるべし、おそろしき事かななど寒月子と窃かに語り合いつつ、好きほどに酒杯を返し納めて眠りに就くに、今宵は蚊もなければ蚊屋も吊らで、・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・いと広き原にて、行けども行けども尽くることなし。名を問えば櫛挽の原という。夕日さす景色も淋し松たてる岡部の里と、為相の詠めるあたりもこの原つづきなり。よっておもうに、岡部の里をよめる歌には松をよめるが多きようなり。深谷に着きて汽車に打乗り、・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 若し赤穂義士を許して死を賜うことなかったならば、彼等四十七人は尽く光栄ある余生を送りて、終りを克くし得たであろう歟、其中或は死よりも劣れる不幸の人、若くば醜辱の人を出すことなかったであろう歟、生死孰れが彼等の為めに幸福なりし歟、是れ問・・・ 幸徳秋水 「死生」
出典:青空文庫