・・・「山の根へ薪を積むとて行ってるんだよ。」宗保が気をきかした。「ヘエエ。」 スパイは、疑い深かげな眼で三人を眺めた。そして、ついて来た。 ──こいつは、くそッ、なにも出来なくなっちゃったな、と西山は思った。彼は、一寸なにかやる・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・でも媚き立つ年頃だけに紅いものや青いものが遠くからも見え渡る扮装をして、小籃を片手に、節こそ鄙びてはおれど清らかな高い徹る声で、桑の嫩葉を摘みながら歌を唄っていて、今しも一人が、わたしぁ桑摘む主ぁきざまんせ、春蚕上簇れば二人着る・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ 女の人は、立って押入から竹洋灯を取りだして、油を振ってみて、袂から紙を出して心を摘む。下へ置いた笠に何か書いた紙切れが喰っついている。読んでみると章坊の手らしい幼い片仮名で、フジサンガマタナクと書いてある。「あら」と女の人は恥かし・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・誰しもはじめは、お手本に拠って習練を積むのですが、一個の創作家たるものが、いつまでもお手本の匂いから脱する事が出来ぬというのは、まことに腑甲斐ない話であります。はっきり言うと、君は未だに誰かの調子を真似しています。そこに目標を置いているよう・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・「誰しもはじめは、お手本に拠って習練を積むのですが、一個の創作家たるものが、いつまでもお手本の匂いから脱する事が出来ぬというのは、まことに腑甲斐ない話であります。はっきり言うと、君は未だに誰かの調子を真似しています。そこに目標を置いているよ・・・ 太宰治 「芸術ぎらい」
・・・忍んで、努力を積むだけです。学問も結構ですが、やたらに脱俗を衒うのは卑怯です。もっと、むきになって、この俗世間を愛惜し、愁殺し、一生そこに没頭してみて下さい。神は、そのような人間の姿を一ばん愛しています。ただいま召使いの者たちに、舟の仕度を・・・ 太宰治 「竹青」
・・・王手、王手で、そうして詰むにきまっている将棋である。旦那芸の典型である。勝つか負けるかのおののきなどは、微塵もない。そうして、そののっぺら棒がご自慢らしいのだからおそれ入る。 どだい、この作家などは、思索が粗雑だし、教養はなし、ただ乱暴・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・ こういう早わざをしとげるためには、もとより天賦の性能もあろうが、主として平素の習練を積むことが必要で、これは水練でも剣術でも同じことであろうと思われる。 学生の時分に天文観測の実習をやった。望遠鏡の焦点面に平行に張られた五本の蜘蛛・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・すなわち従来普通に考うるごとく、弾性体を等質なるものと考えず複雑なる組織体と考えて、その内部における弱点の分布の状況等に関し全く新しき考えよりして実験的研究を積むも無用にあらざるべきか。・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・て、櫛の背を歯に銜え、両手を高く、長襦袢の袖口はこの時下へと滑ってその二の腕の奥にもし入黒子あらば見えもやすると思われるまで、両肱を菱の字なりに張出して後の髱を直し、さてまた最後には宛ら糸瓜の取手でも摘むがように、二本の指先で前髪の束ね目を・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫