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・・・ 世界と人倫との依拠となるべき真理がかく個々別々に、主観的にわかれて、適帰するところを知らずしていいものであろうか。 これが日蓮の第二の疑団であった。 しかのみならず日蓮の幼時より天変地異がしきりに起こった。あるいは寛喜、貞永と・・・
倉田百三
「学生と先哲」
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・・・ こういう原始社会の生産が次第に進んで、日本民族は次第に一定の土地に一定の方法で行う耕作を憶え、鉄器が輸入され、氏族間の闘いで、より強い氏族が弱い氏族を奴隷として自分に従え、労働させるようになった。それにつれて、個人の富というものが段々・・・
宮本百合子
「私たちの建設」