・・・ ある日回診の番が隣へ廻ってきたとき、いつもよりはだいぶ手間がかかると思っていると、やがて低い話し声が聞え出した。それが二三人で持ち合ってなかなか捗取らないような湿り気を帯びていた。やがて医者の声で、どうせ、そう急には御癒りにはなります・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・水臭い麦酒を日毎に浴びるより、舌を焼く酒精を半滴味わう方が手間がかからぬ。百年を十で割り、十年を百で割って、剰すところの半時に百年の苦楽を乗じたらやはり百年の生を享けたと同じ事じゃ。泰山もカメラの裏に収まり、水素も冷ゆれば液となる。終生の情・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ただ私の場合は、用具や設備に面倒な手間がかかり、かつ日本で入手の困難な阿片の代りに、簡単な注射や服用ですむモルヒネ、コカインの類を多く用いたということだけを附記しておこう。そうした麻酔によるエクスタシイの夢の中で、私の旅行した国々のことにつ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・大分手間が取れるようだ。本統に帰るのか知らん。去らなきゃ去らないでもいい。情夫だとか何だとか言ッて騒いでやアがるんだから、どうせ去りゃしまいよ。去らなきゃそれでいいから、顔だけでもいいから、ちょいとでもいいから……。今夜ッきりだ。もう来られ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・算の遅速は同様なるも、一人の手間だけははぶくべし。ここにて考うれば、筆算に便利あるが如くなれども、数の文字、十字だけは、横文を知らずしてかなわぬことなれば、今の学校にて教育を受けたるものよりほかには通用すべからず。たとい学校にて加減乗除・比・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・一日一ドルずつ手間をやるぜ。そうでもしなかったらお前は飯を食えまいぜ。」 ネネムは泣き出しそうになりましたがやっとこらえて云いました。「おじさん。そんなら僕手伝うよ。けれどもどうして昆布を取るの。」「ふん。そいつは勿論教えてやる・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・あのときは会社だなんて、あんまりみんなでやったから損になったんだけれども、おれたちだけでやるんなら、手間にはきっとなるからな。十瓶だって二十瓶だって引き受けると町の薬屋でも云ってくるからな。」「そうだ。」ファゼーロが云いました。「こ・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・交渉はなかなか手間どった。永年住んでいたものだから、毎月敷生村から救済費として米を六升ずつ送る条件で、愈々沢や婆は柳田村に移されることになった。 沢や婆は、一軒ずつ暇乞いに歩いた。「私ももうこれでおめにかかれませんよ、こう弱っちゃあ・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・実にはっきり、燃料となり、代用食事の手間のかかる支度となって女性の二十四時間にくいこんで来ている。しかも、十年前にくらべると、一日のうちに自由時間を一時間半しかもてなくなって来ているこれらの主婦が目にふれ耳にきくのは、アメリカの電化された台・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・ 仕事の手間や何かで、私など、どうでもして行かれまっから。 お節は、気のすすまなそうに、行くとも行かんとも云わずに、ムッつりして居る栄蔵の顔を見た。「そやな、 どうでも行かずばなるまいかな。 ほんに、私も貧乏な懐・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
出典:青空文庫