・・・左翼の人は僕らの眼の前で転向して、ひどいのは右翼になってしまったね。しかし僕らはもう左翼にも右翼にも随いて行けず、思想とか体系とかいったものに不信――もっとも消極的な不信だが、とにかく不信を示した。といって極度の不安状態にも陥らず、何だか悟・・・ 織田作之助 「世相」
・・・東条英機のような人間が天皇を脅迫するくらいの権力を持ったり、人民を苦しめるだけの効果しかない下手糞な金融非常処置をするような政府が未だに存在していたり、近年はかえすがえすも取り返しのつかぬような痛憤やる方ないことのみが多いが武田さんの死もま・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・挨拶の仕様がなかったので、柳吉は天候のことなど吃り勝ちに言うた。種吉は氷水を註文に行った。 銀蠅の飛びまわる四畳の部屋は風も通らず、ジーンと音がするように蒸し暑かった。種吉が氷いちごを提箱に入れて持ち帰り、皆は黙々とそれをすすった。やが・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
一 この頃の陰鬱な天候に弱らされていて手紙を書く気にもなれませんでした。以前京都にいた頃は毎年のようにこの季節に肋膜を悪くしたのですが、此方へ来てからはそんなことはなくなりました。一つは酒類を飲まなくなったせいかも知れません。然・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・と彼の暗記しおる公報の一つ、常に朗読というより朗吟する一つを始めた、「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動これを撃滅せんとす、本日天候晴朗なれども波高し――ここを願います、僕はこの号外を読むとたまらなくうれしくなるのだから――ぜひこ・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・今より七百十五年前、後堀川天皇の、承久四年二月十六日に、安房ノ国長狭郡東条に貫名重忠を父とし、梅菊を母として生まれ、幼名を善日麿とよんだ。 彼の父母は元は由緒ある武士だったのが、北条氏のため房州に謫せられ、落魄して漁民となったのだといわ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・それはよろこぶべき転向である。しかしながらまだ、彼らが知性の否定や、啓示の肯定をいうようになる時機はおそらく遠いであろう。 われわれは生の探求に発足した青年に、永遠の真理の把握と人間完成とを志向せしめようと祈願するとき、彼らがいずれはそ・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・ ○ 天皇は学校に臨幸あらせられた。予定のごとく若崎の芸術をご覧あった。最後に至って若崎の鵞鳥は桶の水の中から現われた。残念にも雄の鵞鳥の頸は熔金のまわりが悪くて断れていた。若崎は拝伏して泣いた。供奉諸官、及び学校諸・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ 夜の食を済ませて後、為すこともなければ携えたる地理の書を読みかえすに、『武甲山蔵王権現縁起』というものを挙げたるその中に、六十一代朱雀天皇天慶七年秩父別当武光同其子七郎武綱云々という文見え、また天慶七年武光奏し奉りて勅を蒙り五条天皇少・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・大江匡房が記している狐の大饗の事は堀河天皇の康和三年である。牛骨などを饗するのであったから、その頃から祇尼の狐ということが人の思想にあったのではないかと思われるが、これは真の想像である。明らかに狐を使った者は、応永二十七年九月足利将軍義持の・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
出典:青空文庫