・・・の主人は腕を離すと妙に改まって頭を下げ、「頑張らせて貰いましたおかげで、到頭元の喫茶をはじめるところまで漕ぎつけましてん。今普請してる最中でっけど、中頃には開店させて貰いま」 そして、開店の日はぜひ招待したいから、住所を知らせてくれ・・・ 織田作之助 「神経」
・・・この界隈はまだ追剥や強盗の噂も聴かないが、年の暮と共に到頭やって来たのだろうか。そう思いながら、足袋のコハゼを外したままの恰好で、玄関へ降りて行った。 そっと戸を敲いている。「電報ですか」「…………」返辞がない。 家の三軒向・・・ 織田作之助 「世相」
・・・一日二円たらずの収入で、毎日三円の仁丹では、暮らして行けぬのか、到頭パトロンを作った。ある日、私に葉巻をくれた。そのパトロンに貰ったのだろう。ロンドという一本十銭の葉巻だった。吸ってみると、白粉の匂いがした。化粧品と一緒にハンドバッグに入っ・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・余裕はあったから、少しだけつきあって、いよいよとなれば席を外して駈けつけよう、そんな風な虫のよいことを考えてついて行ったところ、こんどはその席を外すということが容易でなく、結局ずるずると引っ張られて、到頭遅刻してしまったのだ――と、そんな風・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・すると自分はそうだそうだ、おれは派手な方がいいんだ、陽気にやってくれと言って、ここで死んでちゃ邪魔なんだろうとむっくり起き上って一緒に騒ぎだし、到頭自分のためのお通夜の仲間にはいってしまったという夢である。それほど寂しがり屋なのだ。 し・・・ 織田作之助 「道」
・・・ 精も根も尽果てて、おれは到頭泣出した。 全く敗亡て、ホウとなって、殆ど人心地なく臥て居た。ふッと……いや心の迷の空耳かしら? どうもおれには……おお、矢張人声だ。蹄の音に話声。危なく声を立てようとして、待てしばし、万一敵だった・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・しかし私には、美しくて若い彼の恋人を奥さんと呼ぶのは何となくふさわしくないような気がされて、とうとう口にすることはできなかった。 私たちは毎日打連れて猿にお米をくれに行ったり、若草山に登ったり、遠い鶯の滝の方までも散歩したりして日を暮し・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・の危険にも曝されるのであるが、ある日、私は猫と遊んでいる最中に、とうとうその耳を噛んでしまったのである。これが私の発見だったのである。噛まれるや否や、その下らない奴は、直ちに悲鳴をあげた。私の古い空想はその場で壊れてしまった。猫は耳を噛まれ・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・「けれども君は、かの後の事はよく知るまい、まもなく君は木村と二人で転宿してしまったから……なんでも君と木村が去ってしまって一週間もたたないうちだよ、ばあさんたまらなくなって、とうとう樋口をくどいて国郷に帰してしまったのは。ばアさん、泣き・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ 同国の者はこの広告を見て「先生到頭死んだか」と直ぐ点頭いたが新聞を見る多数は、何人なればかくも大きな広告を出すのかと怪むものもあり、全く気のつかぬ者もあり。 然しこの広告が富岡先生のこの世に放った最後の一喝で不平満腹の先生がせめて・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
出典:青空文庫