・・・しかしその日は塾の同僚を訪うよりも、足の向くままに、好きな田圃道を歩き廻ろうとした。午後に、彼は家を出た。 岩と岩の間を流れ落ちる谷川は到るところにあった。何度歩いても飽きない道を通って、赤坂裏へ出ると、青麦の畠が彼の眼に展けた。五度熟・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ こう言ってしきりにとめましたが、ウイリイはほしくて/\たまらないものですから、馬のいうことを聞かないで、とうとう飛び下りてひろいました。すると、その一本だけでなく、ついでに前のもみんなひろっていきたくなりました。ウイリイはわざわざ後も・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・と藤さんが問う。小母さんも、「私ももう五六度写ったはずだがねえ。いつできるんだろう。まだ一枚もくれないのね」と突っ込む。それから小母さんは、向いの地方へ渡って章坊と写真を撮った話をする。章坊は、「今度は電話だ」と言って、二つの板紙の筒を・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ と申しますと、「や、ありがとう」といつになく優しい返事をいたしまして、「坊やはどうです。熱は、まだありますか?」とたずねます。 これも珍らしい事でございました。坊やは、来年は四つになるのですが、栄養不足のせいか、または夫の酒毒・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・多分そのせいで、女学生の方が、何か言ったり、問うて見たりしたいのを堪えているかと思われる。 遠くに見えている白樺の白けた森が、次第にゆるゆると近づいて来る。手入をせられた事の無い、銀鼠色の小さい木の幹が、勝手に曲りくねって、髪の乱れた頭・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ ここを訪うみちみち私は、深田氏を散歩に誘い出して、一緒にお酒をたくさん呑もう悪い望や、そのほかにも二つ三つ、メフィストのささやきを準備して来た筈であったのに、このような物静かな生活に接しては、われの暴い息づかいさえはばかられ、一ひらの・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・アナタハ、キットウマイ。 ナグサメナイデホシイ。ホントニ、天才カモ知レナイ。 ヨシテ下サイ。モウオカエリ下サイ。 僕は苦笑して立ちあがった。帰るより他はない。静子夫人は僕を見送りもせず、坐ったままで、ぼんやり窓の外を・・・ 太宰治 「水仙」
・・・そして何の権利があって、そんな事を問うのだか分からないとさえ思う。 とうとう喧嘩をした。ドリスは喧嘩が大嫌いである。喧嘩で、一たび失ったこの女の歓心を取り戻すことは出来ない。それはポルジイにも分かっているから、我ながら腑甲斐なく思う。し・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・一兵卒が死のうが生きようがそんなことを問う場合ではなかった。渠は二人の兵士の尽力のもとに、わずかに一盒の飯を得たばかりであった。しかたがない、少し待て。この聯隊の兵が前進してしまったら、軍医をさがして、伴れていってやるから、まず落ち着いてお・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・とおれは問うた。「昨日侯爵のお落しになった襟でございます。」こいつまでおれの事を侯爵だと云っている。 おれはいい加減に口をもぐつかせて謝した。「町の掃除人が持って参ったのでございます。その男の妻が拾ったそうでございます。四十ペン・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
出典:青空文庫