・・・すると入学試験の前夜のような、ときめきを幽かに感ずるのである。この着物は、私にとって、謂わば討入の晴着のようなものである。秋が深くなって、この着物を大威張りで着て歩けるような季節になると、私は、ほっとするのである。つまり、単衣から袷に移る、・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・「心ときめきするもの。――雀のこがひ。児あそばする所の前わたりたる。よき薫物たきて一人臥したる。唐鏡の少しくらき見いでたる。云々。」私、自分の言葉を織ってみる。「目にはおぼろ、耳にもさだかならず、掌中に掬すれども、いつとはなしに指股のあひだ・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・とは、心のときめきに於いては同じようにも思われるだろうが、熟慮半日、確然と、黒白の如く分離し在るを知れり。宿題「チェック・チャックに就いて。」「策略ということについて。」「言葉の絶対性ということについて。」「沈黙は金なりとい・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・なんとなしに物新しい心のときめきといったようなものを感じた。それは子供の時分に何か長くほしがっていた新しいおもちゃを手に入れて始めてそれを試みようとする時、あるいは何かの研究に手をつけて、始めて新しい結果の曙光がおぼろに見え始めた時に感じる・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・机に居ても 空は見え畳に座しても大どかな海の円みと砂のかおりが頬のあたりに そっと忍びよって来るああ、新しい部屋のうち新らしい人生へのときめきを覚えて見えない神に笑みかける私の悦びを誰に伝えよう。・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・ 行き届いて几帳が立ててあるのだから、深草少将が庭先に入って来た時だけでも、そのかげに半ば隠れ立って、自らな女らしい心のときめきを示してもよかったろう。後で身代りと露見した時の小町の驚き、憤りを、一層愛らしい人間的なものにする効果もある・・・ 宮本百合子 「気むずかしやの見物」
・・・それらはその苦しさにおいても、ときめきにおいても、恐ろしい忍耐でさえもすべてはポーランドの土と結ばれているものである。そのポーランドに惨たらしい破壊が加えられている。ドイツの彼らが通過した後には何が残るでしょうというキュリー夫人の言葉は短い・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・ その記事が私を打ったのも、若い女性の胸に結婚という響きがつたえられたとき、そこに湧くのが当然だろうと思われる新しい成長への希望や期待や欲求の愛らしく真摯なときめきがちっとも感じられないと索然とした思いであった。 私たちの心には、結・・・ 宮本百合子 「結婚論の性格」
・・・ 有頂天にならないまでも、又、如何に謙虚に自分の未完成である事にハムブルではあろうとも、その「心のときめき」を、否定し尽す人はないだろう。 下らない賞讚にあって、少し頭に血が上ったのを知ると情けない。 小さい誹謗に、口元を引締め・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・求める心の寂しさ、ときめきと感じられていたものが、今は何か空虚さの感覚に近づいて来ているのではないだろうか。 それは社会が若い女に与えている自由が代用品であることから生じている悲劇であるが、私たちの女学校時代を考えると、大人と少女とはそ・・・ 宮本百合子 「青春」
出典:青空文庫