・・・そうしてその科学界を組織する学者の研究と発見とに対しては、その比較的価値所か、全く自家の着衣喫飯と交渉のない、徒事の如く見傚して来た。そうして学士会院の表彰に驚ろいて、急に木村氏をえらく吹聴し始めた。吹聴の程度が木村氏の偉さと比例するとして・・・ 夏目漱石 「学者と名誉」
・・・「まずうちへ帰ると婆さんが横綴じの帳面を持って僕の前へ出てくる。今日は御味噌を三銭、大根を二本、鶉豆を一銭五厘買いましたと精密なる報告をするんだね。厄介きわまるのさ」「厄介きわまるなら廃せばいいじゃないか」と津田君は下宿人だけあって・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・今まではこの五彩の眩ゆいうちに身を置いて、少しは得意であったが、気が付いて見ると、これらは皆異国産の思想を青く綴じたり赤く綴じたりしたもののみである。単に所有という点からいえば聊か富という念も起るが、それは親の遺産を受け継いだ富ではなくって・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
・・・僕はもう少し習ったらうちの田をみんな一枚ずつ測って帳面に綴じておく。そして肥料だのすっかり考えてやる。きっと今年は去年の旱魃の埋め合せと、それから僕の授業料ぐらいを穫ってみせる。実習は今日も苗代掘りだった。四月八日 水、今日は実・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・若輩は徒事に趨るもの多し。願くば余を其道より引き戻し給へ。余は彼女を恋せず。彼女は依然として余の愛らしき妹なり。愚者よ何の涙ぞ。」「頭痛堪へ難し。今日又余は彼女に遭ひぬ。然り彼女と共に上野を歩しぬ。余は彼女に遭はざらん事を希ふ。余の頭は・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・母は外国にいる父へやるために、細筆で、雁皮の綴じたのに手紙を書いている。私は眠いような、ランプが大変明るくていい気持のような工合でぼんやりテーブルに顎をのっけていたら、急に、高村さんの方で泥棒! 泥棒! と叫ぶ男の声がした。すぐ、バリバリと・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・と厚紙の表紙に書いた綴じこみがのっている。自分がそれに目をつけたのを認め、主任は、煙草のけむをよけて眼を細めながら、書類の間をさがし、「――見ましたか」と一枚のビラをよこした。共青指導部の署名で出された、赤色メーデーを敢行せよ! と・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・一九一六年の夏のはじめに書き終ったが、誰に見せようとも思わず、ひとりで綴じて、木炭紙に自分で色彩を加えた表紙をつけた。けれども、しまっておけなくて、女学校のときからやはり文学がすきで仲よしであった坂本千枝子さんという友達が、白山の奥に住んで・・・ 宮本百合子 「作者の言葉(『貧しき人々の群』)」
・・・ 洋罫紙の綴じたのに、十月――日と日附けをして書きながら、彼女は、カアッと眩しいように明るかった自分の上に、また暗い、冷たい陰がさして来るのを感じた。 すぐよかに、いみじかれ 我が乙女子よ……。 声高な独唱につれて・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・そのなかには青赤エンピツだの小鋏、万年筆、帳綴じの類が入っている。アテナ・インクの瓶がそのまんま置いてあって、そこへペン先をもって行っては書いているのだが、そのペン軸を従妹がくれたのは、もう何年前のことだったろう。私が悄気て鎌倉にいた従妹の・・・ 宮本百合子 「机の上のもの」
出典:青空文庫