・・・前夜のうちに、皇子の馬車も、それについてきた騎馬の勇士らも、波の上へ、とっとと駆け込んで、海の中へ入ってしまったものと思われたのであります。 夕焼けのした晩方に、海の上を、電光がし、ゴロゴロと雷が鳴って、ちょうど馬車の駆けるように、黒雲・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・ また、月日は、足音をたてずに、とっとと過ぎてしまいました。 地球の上は、やわらかな風と緑の葉に被われています。うぐいすは林に鳴いて、がけの上には、らんの花が香っていました。 気の狂ったおきぬは、その後、すこしおちついたけれど、・・・ 小川未明 「谷にうたう女」
・・・そして、とっとと、あっちへいってしまった。」と、政ちゃんが答えました。「どっちの方へ、いってしまったい。」と、だまってきいていた、正ちゃんが、ききました。「原っぱの方へ、川について、とっとと、いってしまったよ。あっちの、赤い空の中へ・・・ 小川未明 「ペスをさがしに」
・・・興奮して蒼ざめ、ぶるぶる震えている熊本君の片腕をつかんで、とっとと歩き出した。佐伯も私たちの後から、のろのろ、ついて来た。「佐伯君は、いけません。悪魔です。」熊本君は、泣くような声で訴えた。「ご存じですか? きのう留置場から出たばかりな・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・笠井さんは、流石に少し侘びしく、雨さえぱらぱら降って来て、とっとと町を急ぐのだが、この下諏訪という町は、またなんという陰惨低劣のまちであろう。駄馬が、ちゃんちゃんと頸の鈴ならして震えながら、よろめき歩くのに適した町だ。町はば、せまく、家々の・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・ 耳もとで囁き、大きい黒揚羽の蝶が、ひたと、高須の全身をおおい隠し、そのまま、すっと入口からさらっていって、廊下の隅まで、ものも言わず、とっとと押しかえして、「まあ。ごめんなさい。」ほっそりした姿の女である。眼が大きく鼻筋の長い淋し・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・諒安は眼をひらきました。霧がからだにつめたく浸み込むのでした。 全く霧は白く痛く竜の髯の青い傾斜はその中にぼんやりかすんで行きました。諒安はとっととかけ下りました。 そしてたちまち一本の灌木に足をつかまれて投げ出すように倒れました。・・・ 宮沢賢治 「マグノリアの木」
・・・ 彼女は家事の一切を引きうけて台所の世話から客のもてなしから朝からせわしくとっと、とっとと働きながら、夜は、疲れた看護婦と母を少しなりとも休ませるために四時位までずつうす赤いスタンドの下に本を並べて起きました。 ほんとうにこの一週間・・・ 宮本百合子 「二月七日」
出典:青空文庫