・・・気まぐれな兄の性質が考えられるだけに、どうせ老父の家へ帰ったって居つけるものではないと思ったのだ。「しかし酒だけは、先も永いことだから、兄さんと一緒に飲んでいるというわけにも行きますまいね。そりゃ兄さんが一人で二階で飲んでる分にはちっと・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・「棘はどうせあの時立てたに違いない」峻は昼間のことを思い出していた。ぴしゃっと地面へうつっぶせになった時の勝子の顔はどんなだったろう、という考えがまた蘇えって来た。「ひょっとしてあの時の痩我慢を破裂させているのかもしれない」そんなこ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・「ありがとう、どうせ長くはあるまい。」と今来た男は捨てばちに言って、投げるように腰掛けに身をおろして、両手で額を押え、苦しい咳をした。年ごろは三十前後である。「そう気を落とすものじゃアない、しっかりなさい」と、この店の亭主が言った。・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・その他のものはどうせことごとく生滅する夢幻にすぎないのだから、恐るべきは過ちや、失則や、沈淪ではなくして、信仰を求める誠の足りなさである。 二 母性愛 私の目に塵が入ると、私の母は静かに私を臥させて、乳房を出して乳汁・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・「おい、もう帰ろうぜ。」 安部が云った。 中隊の兵舎から、準備に緊張したあわただしい叫びや、叱咤する声がひびいて来た。「おい、もう帰ろうぜ。」安部が繰かえした。「どうせ行かなきゃならんのだ。」 空気が動いた。そして脂肪や、焦・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・川音と話声と混るので甚く聞き辛くはあるが、話の中に自分の名が聞えたので、おのずと聞き逸すまいと思って耳を立てて聞くと、「なあ甲助、どうせ養子をするほども無い財産だから、嚊が勧める嚊の甥なんぞの気心も知れねえ奴を入れるよりは、怜悧で天賦の良い・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・「行儀がわるい」女は下から龍介を見上げた。「寒いんだよ。それより、君はこれを敷け」彼は女に座布団を押してやった。が、女は「いいの」と言って、押しかえしてよこした。「――冷えるぜ」「どうせねえ」そして、すすめるとまた「いいの」・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・私は私で、もう一度自分の書斎を二階の四畳半に移し、この次ぎは客としての次郎をわが家に迎えようと思うなら、それもできない相談ではないように見えて来た。どうせ今の住居はあの愛宕下の宿屋からの延長である。残る二人の子供に不自由さえなくば、そう想っ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・「それはそうですけれど、どうせこちらへ運ばなければならないのでしょう?」「ええ」「ではこの押入には、下の方はあたしのものが少しばかりはいっておりますから、あなたは当分上の段だけで我慢してくださいましな」「………」「ねえ」・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・これは、有名の詩句なんだそうだが、誰の詩句やら、浅学の私には、わからぬ。どうせ不埒な、悪文学者の創った詩句にちがいない。ジイドがそれを引用している。ジイドも相当に悪業の深い男のようである。いつまで経っても、なまぐさ坊主だ。ジイドは、その詩句・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
出典:青空文庫