・・・彼もどうやら若い農夫として立って行けそうに見えて来た。 いったい、私が太郎を田舎に送ったのは、もっとあの子を強くしたいと考えたからで。土に親しむようになってからの太郎は、だんだん自分の思うような人になって行った。それでも私は遠く離れてい・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 昨年、九月、甲州の御坂峠頂上の天下茶屋という茶店の二階を借りて、そこで少しずつ、その仕事をすすめて、どうやら百枚ちかくなって、読みかえしてみても、そんなに悪い出来ではない。あたらしく力を得て、とにかくこれを完成させぬうちは、東京へ帰る・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・次には、この土塊の円筒の頂上へ握りこぶしをぐうっと押し込むと、筒の頭が開いて内にはがらんとした空洞ができ、そうしてそれが次第に内部へ広がると同時に、胴体の側面が静かにふくれ出してどうやら壺らしいものの形が展開されて行くのである。それから壺の・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・「あの人は何でもや。来るたんびに何かないかって、茶棚を探すのや。お酒も好きですね」お絹は癖で、詰まったような鼻で冷笑うように言った。「今でもやっぱり遊ぶのかね」「どうやら。家へあまりいらしゃらんさかえ。前かって、そうお金を費った・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ それでも、職長仲間の血縁関係や、例えば利平のように、親子で勤めている者は、その息子を会社へ送り込んで、どうやら、二百人足らずのスキャップで、一方争議団を脅かすため、一面機械を錆つかせない程度には、空の運転をしていたのである。「君、・・・ 徳永直 「眼」
・・・例えば永代橋辺と両国辺とは、土地の商業をはじめ万事が同じではなかったように、吉原の遊里もまたどうやらこうやら伝来の風習と格式とを持続して行く事ができたのである。 泉鏡花の小説『註文帳』が雑誌『新小説』に出たのは明治三十四年で、一葉柳浪二・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・る男女のもの共に浮気の性質にて、末の松山浪越さじとの誓文も悉皆鼻の端の嘘言一時の戯ならんとせんに、末に至って外に仔細もなけれども、只親仁の不承知より手に手を執って淵川に身を沈むるという段に至り、是ではどうやら洒落に命を棄て見る如く聞えて話の・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・なるほどどうやら己も一生というものの中に立っていたらしゅうは思われる。しかし己は高が身の周囲の物事を傍観して理解したというに過ぎぬ。己と身の周囲の物とが一しょに織り交ぜられた事は無い。周囲の物に心を委ねて我を忘れた事は無い。果ては人と人とが・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・そしてとどうやらこっちを見ながらわびるように誘うようになまめかしく呟いた。そして足音もなく土間へおりて戸をあけた。外ではすぐしずまった。女はいろいろ細い声で訴えるようにしていた。男は酔っていないような声でみじかく何か訊きかえしたりしていた。・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・まさかとおもい、どうやらこれならとおもって一票を入れた社会党、民主党、民自党、びっくりばこのようにそのふたがはねあがったら昭和電工、相つぐ涜職事件で日本の民主化は、瓦石をかぶった。ゆうべ、花束をもって国会を訪問した全逓の婦人たちの話が放送さ・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
出典:青空文庫