・・・夕立がどっと来た。黄褐色の濁水が滾々として押し流された。更に強く更に烈しく打ちつける雨が其氾濫せる水の上に無数の口を開かしめる。忙しく泡を飛ばして其無数の口が囁く。そうして更に無数の囁が騒然として空間に満ちる。電光が針金の如き白熱の一曲線を・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・草の中に立って碌さんが覚束なく四方を見渡すと、向うの草山へぶつかった黒雲が、峰の半腹で、どっと崩れて海のように濁ったものが頭を去る五六尺の所まで押し寄せてくる。時計はもう五時に近い。山のなかばはたださえ薄暗くなる時分だ。ひゅうひゅうと絶間な・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・第十夜 庄太郎が女に攫われてから七日目の晩にふらりと帰って来て、急に熱が出てどっと、床に就いていると云って健さんが知らせに来た。 庄太郎は町内一の好男子で、至極善良な正直者である。ただ一つの道楽がある。パナマの帽子を被っ・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・―― 演説が終ると、獄舎内と外から一斉に、どっと歓声が上がった。 私は何だか涙ぐましい気持になった。数ヶ月の間、私の声帯はほとんど運動する機会がなかった。また同様に鼓膜も、極めて微細な震動しかしなかった。空気――風――と光線とは誰の・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・五匹の象が一ぺんに、塀からどっと落ちて来た。オツベルはケースを握ったまま、もうくしゃくしゃに潰れていた。早くも門があいていて、グララアガア、グララアガア、象がどしどしなだれ込む。「牢はどこだ。」みんなは小屋に押し寄せる。丸太なんぞは、マ・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・あまがえるは思わずどっと笑い出しました。がどう云うわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。みなさん、この時のさびしいことと云ったら私はとても口で云えません。みなさんはおわかりですか。ドッと一緒に人・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・、自分の持っている情感の深さの底をついた演技の力で、そういう人柄の味を出そうとせず、その手前で、いって見ればうわ声で、性格の特徴をあらわそうとしているために、出しおしみされているところから来る弱さと、どっと迸ったようなところとむらがあって、・・・ 宮本百合子 「映画女優の知性」
・・・と、誰かが勇者の勢でそこから内に辷り込む。どっという笑声や喝采。あとから、あとから。ちゃんと門が開き切った時分には、恐らく誰一人往来に立って待ってはいないだろう。 入ってしまえばもう安心し、砂利の上で肱を張り張り歩いて左の方に行く。――・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・「酒屋や、十五円貰うてたのやが、お前、どっと酒桶へまくれ込んでさ。医者がお前もう持たんと云いさらしてのう。心臓や、えらいことやったわ。」 秋三は勘次の姿が裏の水壺の傍で揺れたのを見ると、黙って少し足音を忍ばせる気持で外へ出た。が、勘・・・ 横光利一 「南北」
・・・「いや……それから、もし御親戚の方々をお呼びなさいますなら、一時にどっと来られませんように。」「承知しました。」「長い間でお疲れでございましょう。」「いや。」 彼はいつの間にか廊下の真中まで来てひとり立っていた。忘れてい・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫