・・・ たぶん大丈夫だと思うけどね、そこに乱暴な男がひとりいてね、もしそいつが腕を振り上げたら、君は軽くこう、取りおさえて下さい。なあに、弱いやつらしいんですがね。」 彼は、めっきりキヌ子に、ていねいな言葉でものを言うようになっていた。・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・――なあに、みんな神経さ。自分の心に恐いと思うから自然幽霊だって増長して出たくならあね」と刃についた毛を人さし指と拇指で拭いながらまた源さんに話しかける。「全く神経だ」と源さんが山桜の煙を口から吹き出しながら賛成する。「神経って者は・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・「おやおや」「しかもそれを宿のかみさんが見つけて、僕に退去を命じた」「さぞ困ったろうね」「なあに困らんさ、そんな事で困っちゃ、今日まで生きていられるものか。これから追い追い華族や金持ちを豆腐屋にするんだからな。滅多に困っちゃ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・僕はそのころは小説を書こうなんどとは夢にも思っていなかったが、なあにおれだってあれくらいのものはすぐ書けるよという調子だった。 ちょうど大学の三年の時だったか、今の早稲田大学、昔の東京専門学校へ英語の教師に行って、ミルトンのアレオパジチ・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・私が挨拶しましたらその人は少しきまり悪そうに笑って、「なあに、おうちの生徒さんぐらい大きな方ならあぶないこともないのですが一寸来てみたところです。」と云うのでした。なるほど私たちの中でたしかに泳げるものはほんとうに少かったのです。もちろ・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・ ホモイはちょっと頭を曲げて、 「この川を向こうへ跳び越えてやろうかな。なあに訳ないさ。けれども川の向こう側は、どうも草が悪いからね」とひとりごとを言いました。 すると不意に流れの上の方から、 「ブルルル、ピイ、ピイ、ピイ、・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・「何平気さ、うんと仕込んどきゃ、あと水一杯ですむよ」 廻すのを止め、一ヵ所を指さした。「なあに」 覗いて見て、陽子は笑い出した。「――貴君じゃあるまいし」「なに? なに?」 ふき子が、従姉の胸の前へ頭を出して、忠・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・「なあに」「――ハンカチーフ」 其那問答をした、細かいことまで明瞭に思い出され、悉く意味ありげに感じられて来るのが、愛には苦痛であった。「これにお前も懲ればいいさ」 愛は悄気て「ほんとうよ」と答えた。「人には・・・ 宮本百合子 「斯ういう気持」
・・・と云えば「なあに、寝ていたって、暑いのは同じ事でさあ」と云う。一本一本の榛の木から起る蝉の声に、空気の全体が微かに顫えているようである。 三時頃に病家に著いた。杉の生垣の切れた処に、柴折戸のような一枚の扉を取り付けた門を這入ると、土を堅・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・しかしデュウゼはきかない。なあに競争しよう、比較していただこう。私は恐れはしない、Ci Sono auch' io なあに私だって女優だ。――そこでサラのあてた「バグダッドの王女」をデュウゼも取った。世界の女優はここに競争を開始した。 ・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫