立てきった障子にはうららかな日の光がさして、嵯峨たる老木の梅の影が、何間かの明みを、右の端から左の端まで画の如く鮮に領している。元浅野内匠頭家来、当時細川家に御預り中の大石内蔵助良雄は、その障子を後にして、端然と膝を重ねた・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・死んでから幾日も経ち、内臓なども乾きついてしまった蠅がよく埃にまみれて転がっていることがあるが、そんなやつがまたのこのこと生き返って来て遊んでいる。いや、事実そんなことがあるのではなかろうか、と言った想像も彼らのみてくれからは充分に許すこと・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・あのなかには俺の一切の所持品が――ふとするとその日その日の生活の感情までが内蔵されているかもしれない。ここから声をかければ、その幽霊があの窓をあけて首を差し伸べそうな気さえする。がしかしそれも、脱ぎ棄てた宿屋の褞袍がいつしか自分自身の身体を・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 脚や内臓をやられて歩けない者は、あとから担架で運ばれてきた。「あら、君もやられたんか。」大西は、意外げに、皮肉に笑った。「わざと、ちょっぴり怪我をしたんじゃないか?」「…………。」 腕を頸に吊らくった相手は腹立たしげに顔を・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・あとで知ったことだけれど、生徒の姓名とその各々の出身中学校とを覚えているというのは、この教授の唯一の誇りであって、それらを記憶して置くために骨と肉と内臓とを不具にするほどの難儀をしていたのだそうである。いま僕は、こうして青扇と対座して話合っ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・もし旋風のためとすればそれは馬が急激な気圧降下のために窒息でもするか内臓の障害でも起こすのであろうかと推測される。しかしそれだけであってこのギバの他の属性に関する記述とはなんら著しい照応を見ない。もっとも旋風は多くの場合に雷雨現象と連関して・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・ 生理学の初歩の書物を読んでみると、皮膚の一部をつねったりひねったりするだけで、腹部の内臓血管ことにその細動脈が収縮し、同時に筋や中枢神経系に属する血管は開張すると書いてある。灸をすえるのでも似かよった影響がありそうである。のみならず、・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・った口調から発生したものではないかと想像されるのであるが、これについては別の機会に詳説することとして、ここではともかくそうしてできた五七また七五調が古来の日本語に何かしら特に適応するような楽律的性質を内蔵しているということをたとえ演繹するこ・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・これは自分を取り繕ろいたくないという結構な精神の働いている場合もありましょうし、また隠さない明けッ放しの内臓を見せても世間で別段鼻を抓んで苦い顔をするものがないからでもありましょうが、私の所へ時々若い人などが初めて訪問に来て、後から手紙など・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・その後には、蝸牛が這いまわった後のように、彼の内臓から吐き出された、糊のような汚物が振り撒かれた。 彼は、自分から動く火吹き達磨のように、のたうちまわった挙句、船首の三角形をした、倉庫へ降りる格子床の上へ行きついた。そして静かになった。・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
出典:青空文庫