・・・その時に控え室となっていた教場の机の上にナイフでたんねんに刻んだいろいろのらく書きを見ていたら、その中に稚拙な西洋婦人の立ち姿の周囲にリリアン・ギッシュ、メリー・ピクフォードなどという名前が彫り込んであった。自分の中学時代のいたずらを思い出・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・立廻の間に帯が解け襦袢一枚になった女を押えつけてナイフで乳をえぐったり、咽喉を絞めたりするところは最も必要な見世場とされているらしい。歌舞伎劇にも女の殺される処は珍しくないがその洗練された芸風と伴奏の音楽とが、巧みに実感を起させないようにし・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・こんな表の状袋を用るくらいでは少々我輩の手に合わん高等下宿だなと思ながら「ナイフ」で開封すると、「御問合せの件に付申上候。この家はレデーの所有にて室内の装飾の立派なるはもちろん室々はことごとく電気灯を用いよき召使を雇い高尚優雅なる生活に適す・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・一本腕はもう晩食をしまっていた。一本腕はナイフと瓶とを隠しにしまった。そしてやっと人づきあいのいい人間になった。「なんと云う天気だい。たまらないなあ。」 爺いさんは黙って少し離れた所に腰を掛けた。 一本腕が語り続けた。「糞。冬になり・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・左の胸に突込んだるナイフの木の柄現われおる。この男舞台の真中男。はあ。君はまだこの世に生きているな。永遠の洒落者め。君はまだホラチウスの書なぞを読んで世を嘲っているのかい。僕が物に感じるのを見て、君は同じように感じると見せて好くも僕を欺・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 奥の方にはまだ一枚扉があって、大きなかぎ穴が二つつき、銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあって、「いや、わざわざご苦労です。 大へん結構にできました。 さあさあおなかにおはいりください。」と書いてありました・・・ 宮沢賢治 「注文の多い料理店」
・・・「へい。これはとんだ無調法を致しました。ただ今、すぐ持って参ります。」と云いながら、その給仕は二尺ばかりあるホークを持って参りました。「ナイフ!」と又若ばけものはテーブルを叩いてどなりました。「へい。これはとんだ無調法を致しまし・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・「こんな野原で剣はございません。ナイフでいけませんか。」 するとデストゥパーゴは安心したようにしながら、「よし、持ってこい。」と声だけ高く云いました。「承知しました。」 給仕が食事につかうナイフを二本持って来て、うやうや・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・私は仕事部屋に、寒暖計だの湿度計だの磁石だのよく切れるハサミ、ナイフだの欲しい。今は寒暖計だけ。こういう程度に直接生活的な器は何だか生活慾を刺戟していい心持です。ところが時計はチクタクの大きく聴えるのなど大きらいです。あの夏になると眠りがち・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・彼女は昼の残りの肉を ナイフでたたき乍ら――この肉上げましょうか、食べたくなる程美味しい肉ですよ 全くさ それでも三週間キャベジの煮たのだけたべてやっと百グラムの牛肉が食べられるようになったのだから、彼女はその肉も結局は食べ終る。・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
出典:青空文庫