・・・道端の細流で洗濯をするのに、なよやかなどと言う姿はない。――ないのだが、見ただけでなよやかで、盥に力を入れた手が、霞を溶いたように見えた。白やかな膚を徹して、骨まで美しいのであろう。しかも、素足に冷めし草履を穿いていた。近づくのに、音のしな・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・それでも、どこかひけめのある身の、縞のおめしも、一層なよやかに、羽織の肩も細りとして、抱込んでやりたいほど、いとしらしい風俗である。けれども家業柄――家業は、土地の東の廓で――近頃は酒場か、カフェーの経営だと、話すのに幅が利くが、困った事に・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・とそう言って、……いきなり鏡台で、眉を落して、髪も解いて、羽織を脱いでほうり出して、帯もこんなに(なよやかに、頭あの、蓮葉にしめて、「後生、内証だよ。」と堅く口止をしました上で、宿帳のお名のすぐあとへ……あの、申訳はありませんが、おなじくと・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ と見ると、左側から猶予らわないで、真中へ衝と寄って、一帆に肩を並べたのである。 なよやかな白い手を、半ば露顕に、飜然と友染の袖を搦めて、紺蛇目傘をさしかけながら、「貴下、濡れますわ。」 と言う。瞳が、動いて莞爾。留南奇の薫・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・そのなよやかな、弱々しく見える、肉体の表わした衣物の上の線は、実にほゝえまずにはいられないほど無邪気な、何ともいえない、また貴い味いを、腰かけている母親の温かな、ふっくらとした膝の上に描いています。 あくまで描く上に真実であるミレーは、・・・ 小川未明 「民衆芸術の精神」
・・・触った其手は暖かであった、なよやかであった。其力はやわらかであった、たしかに鄙しく無い女の手であった。これには男は又ギョッとした。が、しかし逃げもしなかった、口もきかなかった。「何んな運にでもぶつかって呉りょう、運というものの面が見たい・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・夢の如くなよやかなる女の姿は、地を踏まざるに歩めるか、影よりも静かにランスロットの室の前にとまる。――ランスロットの夢は成らず。 聞くならくアーサー大王のギニヴィアを娶らんとして、心惑える折、居ながらに世の成行を知るマーリンは、首を掉り・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・眼こそ見えね、眉の形、細き面、なよやかなる頸の辺りに至まで、先刻見た女そのままである。思わず馳け寄ろうとしたが足が縮んで一歩も前へ出る事が出来ぬ。女はようやく首斬り台を探り当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く。最前男の子にダッドレーの紋・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
若い娘の命をとる事もまっしろな張のある体をめちゃめちゃにする事でも平気なかおでやってのける力をもった刀でさえ錦の袋に入った大店の御娘子と云うなよやかな袋に包まれて末喜の様な心もその厚い地布のかげにはひそんで何十年の昔から死・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・「こんなにたくさんの葉を皆間違いなく、その枝々につけ、こうやってただこぼれた麦粒から、こんなに生き生きとした、美しい立派な芽を出させるものは何だろう、彼女は、白いなよやかな根元から、短かく立つ陽炎を眺めながら考えている」 考えの進歩・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
出典:青空文庫