・・・蜀黍の垣根の側に手拭を頬かぶりにした容子の悪い男がのっそりと立って居る。それは犬殺しで帯へ挿した棍棒を今抜こうとする瞬間であった。人なつこい犬は投げられた煎餅に尾を振りながら犬殺しの足もとに近づいて居たのである。犬殺しは太十の姿を見て一足す・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・蜀黍の垣根の側に手拭を頬かぶりにした容子の悪い男がのっそりと立って居る。それは犬殺しで帯へ挿した棍棒を今抜こうとする瞬間であった。人なつこい犬は投げられた煎餅に尾を振りながら犬殺しの足もとに近づいて居たのである。犬殺しは太十の姿を見て一足す・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・鏡のうちに永く停まる事は天に懸る日といえども難い。活ける世の影なればかく果敢なきか、あるいは活ける世が影なるかとシャロットの女は折々疑う事がある。明らさまに見ぬ世なれば影ともまこととも断じがたい。影なれば果敢なき姿を鏡にのみ見て不足はなかろ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・我々はもっとずっと、擦れてるから始末が悪い。と云ってあすこがつまらないんじゃない。かなり面白かった。けれどもその面白味はあの初菊という女の胴や手が蛇のように三味線につれて、ひなひなするから面白かったんで、人情の発現として泣く了簡は毛頭なかっ・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・特に数学に入るか哲学に入るかは、私には決し難い問題であった。尊敬していた或先生からは、数学に入るように勧められた。哲学には論理的能力のみならず、詩人的想像力が必要である、そういう能力があるか否かは分らないといわれるのである。理においてはいか・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・恐ろしく蒸し暑くて体中が悪い腫物ででもあるかのように、ジクジクと汗が滲み出したが、何となくどこか寒いような気持があった。それに黴の臭いの外に、胸の悪くなる特殊の臭気が、間歇的に鼻を衝いた。その臭気には靄のように影があるように思われた。 ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・恐ろしく蒸し暑くて体中が悪い腫物ででもあるかのように、ジクジクと汗が滲み出したが、何となくどこか寒いような気持があった。それに黴の臭いの外に、胸の悪くなる特殊の臭気が、間歇的に鼻を衝いた。その臭気には靄のように影があるように思われた。 ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・あまりいうと、女房に悪いから結論は出さないでおこう。 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・あまりいうと、女房に悪いから結論は出さないでおこう。 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・外聞の悪いことをお言いなさんなよ」「小万さん、お前も酔ッておやりよ。私ゃ管でも巻かないじゃアやるせがないよ。ねえ兄さん」と、吉里は平田をじろりと見て、西宮の手をしかと握り、「ねえ、このくらいなことは勘忍して下さるでしょう」「さア事だ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫