・・・そうしてその町の右側に、一軒の小さな八百屋があって、明く瓦斯の燃えた下に、大根、人参、漬け菜、葱、小蕪、慈姑、牛蒡、八つ頭、小松菜、独活、蓮根、里芋、林檎、蜜柑の類が堆く店に積み上げてある。その八百屋の前を通った時、お君さんの視線は何かの拍・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・牛蒡、人参は縦に啣える。 この、秋はまたいつも、食通大得意、というものは、木の実時なり、実り頃、実家の土産の雉、山鳥、小雀、山雀、四十雀、色どりの色羽を、ばらばらと辻に撒き、廂に散らす。ただ、魚類に至っては、金魚も目高も決して食わぬ。・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・――その上、一人身ではないそうだ。――ここへ来る途中で俄盲目の爺さんに逢って、おなじような目の悪い父親があると言って泣いたじゃないか。」―― 掛稲、嫁菜の、畦に倒れて、この五尺の松に縋って立った、山代の小春を、近江屋へ連戻った事は、・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・――実際あそこの人参葉の美しさなどは素晴しかった。それから水に漬けてある豆だとか慈姑だとか。 またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通はいったいに賑かな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・だから仏教には昔から合い難き師に合うとか、享け難き人身を享けてとか、百千万劫難遭遇の法を聴くとかいってこのかりそめならぬ縁の契機を重んじるのである。人と人との接触というものは軽くおろそかに扱えばそれまでの偶然事で深い気持などは起こるものでは・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・曰く、「京管領細川右京太夫政元は四十歳の比まで女人禁制にて、魔法飯綱の法愛宕の法を行ひ、さながら出家の如く、山伏の如し、或時は経を読み、陀羅尼をへんしければ、見る人身の毛もよだちける。されば御家相続の子無くして、御内、外様の面、色諫め申しけ・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ その他、到れり尽せりの人身攻撃を受けたようである。 今官一君が、いま、パウロの事を書いているのを知り、私も一夜、手垢の附いた聖書を取り出して、パウロの書簡を読み、なぜだか、しきりに今官一君に声援を送りたくなった次第である。・・・ 太宰治 「パウロの混乱」
・・・中に物理学者と名のつく人も一人居て、これはさすがに直接の人身攻撃はやらないで相対原理の批判のような事を述べたが、それはほとんど科学的には無価値なものであった。要するにこの演説会は純粋な悪感情の表現に終ってしまった。気の永いアインシュタインも・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・コローの絵を想い出させるようなフランスの田舎の幻像がスクリーンの上を流れて行く、老人と子供が雪夜の石段を下りて来る図や、密航船の荷倉で人参をかじる図なども純粋に挿画的である。 三 管弦楽映画 ベルリンフィルハルモニ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・先ず裏の畑の茄子冬瓜小豆人参里芋を始め、井戸脇の葡萄塀の上の棗、隣から貰うた梨。それから朝市の大きな西瓜、こいつはごろごろして台へ載りにくかったのをようやくのせると、神様へ尻を向けているのは不都合じゃと云い出してまた据え直す。こんな事でとう・・・ 寺田寅彦 「祭」
出典:青空文庫