・・・「つきましては今日は御年始かたがた、ちと御願いがあって参りましたんですが、――」「何でございますか、私に出来る事でございましたら――」 まだ油断をしなかったお蓮は、ほぼその「御願い」もわかりそうな気がした。と同時にそれを切り出さ・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ 今でこそあまり往来もしなくなって、年始状のやり取りぐらいな交際に過ぎないが、私の旧い知人の中に一人の美術家がある。私はその美術家の苦しい骨の折れた時代をよく知っているが、いつのまにか人もうらやむような大きな邸を構え住むようになった。昔・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・ ことしのお正月、僕は近所へ年始まわりに歩いたついでにちょっと青扇のところへも立ち寄ってみた。そのとき玄関をあけたら赤ちゃけた胴の長い犬がだしぬけに僕に吠えついたのにびっくりさせられた。青扇は、卵いろのブルウズのようなものを着てナイトキ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ことしのお正月には、あなたは、あなたの画の最も熱心な支持者だという、あの有名な、岡井先生のところへ、御年始に、はじめて私を連れてまいりました。先生は、あんなに有名な大家なのに、それでも、私たちの家よりも、お小さいくらいのお家に住まわれて居ら・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・三年前のお正月、僕は草田の家に年始に行った。僕は、友人にも時たまそれを指摘されるのだが、よっぽど、ひがみ根性の強い男らしい。ことに、八年前ある事情で生家から離れ、自分ひとりで、極貧に近いその日暮しをはじめるようになってからは、いっそう、ひが・・・ 太宰治 「水仙」
・・・かも祖父のほうが年輩からいっても、また政治の経歴からいっても、はるかに先輩だったので、祖父は何かと原敬に指図をすることができて、原敬のほうでも、毎年お正月には、大臣になられてからでさえ、牛込のこの家に年始の挨拶に立ち寄られたものだそうですが・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・これはことしのお正月にK君と二人で、共に紋服を着て、井伏さんのお留守宅へ御年始にあがって、ちょうどI君も国民服を着て御年始に来ていましたが、その時、I君が私たち二人を庭先に立たせて撮影した物です。似合いませんね。へんですね。K君はともかく、・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・ついには、ひどく叱られ、破門のようになっていたのであるが、ことしの正月には御年始に行き、お詫びとお礼を申し上げた。それから、ずっとまた御無沙汰して、その日は、親友の著書の出版記念会の発起人になってもらいに、あがったのである。御在宅であった。・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ 高等学校時代のある年の元旦に二三の同窓といっしょに諸先生の家へ年始回りをしていたとき、ある先生の門前まで来ると連れの一人が立ち止まって妙な顔をすると思ったら突然仰向けにそりかえって門松に倒れかかった。そうしてそれなりに地面に寝てしまっ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・実をいうと今まで腹の中では老師の年歯を六十ぐらいに勘定していた。しかし今ようやく五十一二とすると、昔自分が相見の礼を執った頃はまだ三十を超えたばかりの壮年だったのである。それでも老師は知識であった。知識であったから、自分の眼には比較的老けて・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
出典:青空文庫