・・・その辺で、彼は野良仕事をしている町の青年の一人に逢った。 最早青年とも言えなかった。若い細君を迎えて竈を持った人だ。しばらく高瀬は畠側の石に腰掛けて、その知人の畠を打つのを見ていた。 その人は身を斜めにし、うんと腰に力を入れて、土の・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・このごろ人形の家をまた読み返し、重大な発見をして、頗る興奮した。ノラが、あのとき恋をしていた。お医者のランクに恋をしていたのだ。それを発見した。弟妹たちを呼び集めて、そのところを指摘し、大声叱咤、説明に努力したが、徒労であった。弟妹たちは、・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ 九月のはじめ、私は昼食をすませて、母屋の常居という部屋で、ひとりぼんやり煙草を吸っていたら、野良着姿の大きな親爺が玄関のたたきにのっそり立って、「やあ」と言った。 それがすなわち、問題の「親友」であったのである。(私はこの・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・も広いし、是非いちど遊びにいらっしゃいと言われて私は、六月の第一日曜に、駒込駅から省線に乗って、池袋駅で東上線に乗り換え、練馬駅で下車しましたが、見渡す限り畑ばかりで、春日町は、どの辺か見当が附かず、野良の人に聞いてもそんなところは知らん、・・・ 太宰治 「千代女」
・・・私ひとりを、完全に野良息子にして置きたかった。すると、周囲の人の立場も、はっきりしていて、いささかも私に巻添え食うような事がないだろうと信じた。遺書を作るために、もう一年などと、そんな突飛な事は言い出せるものでない。私は、ひとりよがりの謂わ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ ノラもまた考えた。廊下へ出てうしろの扉をばたんとしめたときに考えた。帰ろうかしら。 私がわるいことをしないで帰ったら、妻は笑顔をもって迎えた。 その日その日を引きずられて暮しているだけであった。下宿屋で、たった独り・・・ 太宰治 「葉」
・・・をまた読み返し、重大な発見をして、頗る興奮した。ノラが、あのとき恋をしていた。お医者のランクに恋をしていたのだ。それを発見した。弟妹たちを呼び集めてそのところを指摘し、大声叱咤、説明に努力したが、徒労であった。弟妹たちは、どうだか、と首をか・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・新聞の漫画を見ていると、野良のむすこが親爺の金を誤魔化しておいて、これがレラチヴィティだなどと済ましているのがある。こうなってはさすがのアインシュタインも苦い顔をしている事であろう。 我邦ではまだそれほどでもないが、それでも彼の名前は理・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・日々に訪れて来るのら猫の数でも少なくはない。なぜだろう。宿の人に聞いてみると、いないことはない。現に近くの発電所にも一匹はたしかにいるという。宿では食膳を荒らす恐れがあるから飼わないそうである。宿で前に七面鳥を飼っていたが、無遠慮に客室へは・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・宅の門前にだれかが捨てて行ったものらしい。白い黒ぶちのある、そしてしっぽの長い種類のものであった。縁側を歩かせるとまだ足が不たしかで、羽二重のようになめらかな蹠は力なく板の上をずるずるすべった。三毛を連れて来てつき合わせると三毛のほうが非常・・・ 寺田寅彦 「子猫」
出典:青空文庫