・・・の儀式もいつのまにか廃止された。学校へ行って文明を教わっている村の青年たちには、裃をつけて菅笠をかむって、無意味なような「ナーンモーンデー」を唱える事は、堪え難い屈辱であり、自己を野蛮化する所行のように思われたのである。これは無理のない事で・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・少なくも晩年の作品の中に現われている色々のものの胚子がこの短い詩形の中に多分に含まれている事だけは確実である。 俳句とは如何なるものかという問に対して先生の云った言葉のうちに、俳句はレトリックのエッセンスであるという意味の事を云われた事・・・ 寺田寅彦 「夏目先生の俳句と漢詩」
・・・の内部に親と子の生命の連鎖をつかもうとして骨を折っている。物理学者や化学者は物質を磨り砕いて原子の内部に運転する電子の系統を探っている。そうして同一物質の原子の中にある或る「個性」の胚子を認めんとしているものもある。化学的の分析と合成は次第・・・ 寺田寅彦 「春六題」
・・・それで日刊廃止の場合にこれに代わるべきものの社会記事はできるだけ純客観的で科学的であってほしい。そういう意味で有益なおもしろい記事をタイムス週刊の第一ページや処々の余白の埋め草に発見する事がある。 もしかりに私がこのような週刊や旬刊の社・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・書くならばできるだけほんとうの径路を科学的に書く事によってすべての人の頭の奥に潜む罪の胚子に警告を与えるようなものにしたい。しかしそういう例外な事件の記事よりも、日常街頭や家庭に起こりつつある、一見平凡でそうして多数の人が軽々に看過していて・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・「帯刀の廃止、決闘の禁制が生んだ近代人の特典は、なんらの罰なしに自分の気に入らない人に不当な侮辱を与えうる事である。愚弄に報ゆるに愚弄をもってし、当てこすりに答えるに当てこすりをもってする事のできる場合には用はないが、無言な正義が饒舌な機知・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・の観念の胚子、「力の場」「指力線」などの考えの萌芽らしいものも見られる。しかし全体としての説明は不幸にして今の言葉には容易に書き直されないものである。 終わりには「病気」に関する一節があって、そこには風土病と気候の関係が論ぜられ、また伝・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・乍チニシテ島原ノ妓楼廃止セラレテ那ノ輩這ノ地ニ転ジ、新古互ニ其ノ栄誉ヲ競フニオヨンデ、好声一時ニ騰々タルコトヲ得タリ。現在大楼ト称スル者今其ノ二三ヲ茲ニ叙スレバ即曰ク松葉楼曰ク甲子楼曰ク八幡楼、曰ク常盤楼、曰ク姿楼、曰ク三木楼等、維們最モ群・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 吉原の遊里は今年昭和甲戌の秋、公娼廃止の令の出づるを待たず、既に数年前、早く滅亡していたようなものである。その旧習とその情趣とを失えば、この古き名所はあってもないのと同じである。 江戸のむかし、吉原の曲輪がその全盛の面影を留めたの・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・博文館が帝国文庫という総称の下に江戸時代の稗史小説の復刻をなし始めたのはその頃からであろう。わたくしは病床で『真書太閤記』を通読し、つづいて『水滸伝』、『西遊記』、『演義三国志』のような浩澣な冊子をよんだことを記憶している。病中でも少年の時・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
出典:青空文庫