・・・ 薄暮、阿佐ヶ谷駅に降りて、その友人と一緒に阿佐ヶ谷の街を歩き、私は、たまらない気持であった。寒山拾得の類の、私の姿が、商店の飾窓の硝子に写る。私の着物は、真赤に見えた。米寿の祝いに赤い胴着を着せられた老翁の姿を思い出した。今の此のむず・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・兵站部の三箇の大釜には火が盛んに燃えて、煙が薄暮の空に濃く靡いていた。一箇の釜は飯が既に炊けたので、炊事軍曹が大きな声を挙げて、部下を叱して、集まる兵士にしきりに飯の分配をやっている。けれどこの三箇の釜はとうていこの多数の兵士に夕飯を分配す・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・窓が明いてコンシェルジの伯母さんが現われる。アンナが「そうか」といったような顔をする。文字で書けばたったこれだけの事である。これだけならば米国でもドイツでも日本でもいつでもできる仕事であると思われるかもしれない。しかし実際はこの場合の巧拙を・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・すべてが細かい蠢動になってしまうのである。薄暮の縁側の端居に、たまたま眼前を過ぎる一匹の蚊が、大空を快翔する大鵬と誤認されると同様な錯覚がはたらくのである。 いっそうおもしろいのは時間の逆行による世界像の反転である。いわゆるカットバック・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・ 公爵のシャトーの中のかび臭い陰気な雰囲気を描くためにいろいろな道具が使われているうちに、姫君の伯母三人のオールドミスが姫君の病気平癒を祈る場面がある。それが巫女の魔法を修する光景に形どって映写されているようであるが、ここの伴奏がこれに・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・そうして生きながら焼かれる人々の叫喚の声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手では烏瓜の花が薄暮の垣根に咲き揃っていつもの蛾の群はいつものように忙わしく蜜をせせっているのであった。 地震があれば壊れるような家を・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・そうして生きながら焼かれる人々の叫喚の声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手ではからすうりの花が薄暮の垣根に咲きそろっていつもの蛾の群れはいつものようにせわしく蜜をせせっているのであった。 地震があればこわれ・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・しかしA村の甥がK市の姉すなわち彼の伯母のために状袋のあて名を書いてやったという事もずいぶん可能で蓋然であるように思われた。しかしふたつの手跡は似ていると言いながら全く同じであるとは考えにくい点もないではなかった。 もう一つのわからない・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・誰れか余所の伯母さんが来て寸を取っているらしい。勘定を持って来た。十五円で御釣りが三円なにがし。その中の銀一枚はこれで蕎麦をおごろうと御竹さんの帯の間へ。残りは巾着へ、チャラ/\と云うも冬の音なり。今日は少し御早くと昼飯が来て、これでまたし・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・もう一つの例は『一代女』の終りに近く、ヒロインの一代の薄暮、多分雨のそぼ降る折柄でもあったろう「おもひ出して観念の窓より覗けば、蓮の葉笠を着たるやうなる子供の面影、腰より下は血に染みて、九十五、六程も立ならび、声のあやぎれもなくおはりよ/\・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
出典:青空文庫